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「スポーツの神童はチヤホヤされてもいいけど自負を持つな」というパワーワード

後輩がすごいことを言っていたので共有です(社内チャットみてえな始まり方)

私達は平日の昼間によく「さぎょいぷ」をしています。
さぎょいぷとは、通話をしながらの作業です。
テレワークは見張る人間が居ません。
一人ではサボってしまいます。
しかし通話をすることで嫌でも机の前にいるわけですから、仕事が捗るという寸法です。
つまり、手ではキーボードをかたかたしつつ、目ではこの世では何も役に立たないプログラムコードを捉えて、ほとんど脳のリソースを使っていない会話が繰り広げられます。

ぼく「なんか甲子園がやっているらしいね」
後輩「あれ先輩って野球興味ありましたっけ」
ぼく「一ミリもないよ」
後輩「ですよね。だって甲子園の時期じゃないですもん」
ぼく「じゃあぼくが見たのはなんだったのか……」
後輩「昔のまとめサイトとかじゃないですか」
ぼく「そうかも」
後輩「そういや〇〇って野球選手知ってます?」(誰かは忘れました)
ぼく「しらない」
後輩「同じ高校なんですよ。しかも学年二つ違い」
ぼく「へー。その頃から上手かったの?」
後輩「なんかリトルリーグからずっとうまくてチヤホヤされてたって」
ぼく「すげえなあ神童じゃん」
後輩「……思うんスけど」
ぼく「思っちゃったか」
後輩「神童って、居るじゃないですか。野球に限らずスポーツに」
ぼく「神童は、居る。野球に限らずスポーツに」
後輩「あいつらって周りからチヤホヤされるじゃないですか」
ぼく「される。プレーが上手いからな」
後輩「それは良いんです」
ぼく「いいんだ」
後輩「でも自負をもつのは違くないですか?」
ぼく「……面白くなってきやがったぜ」
後輩「だってスポーツが上手いだけですよ?なのに調子に乗られちゃ困る」
ぼく「困ってしまうのか」
後輩「チヤホヤされるのは良いけど調子には乗るな。スポーツごときで」
ぼく「全国のスポーツプレイヤーにころされるぞ」
後輩「なんですかスポーツプレイヤーって」

つまり、後輩が言いたいのは
「スポーツは見る人がいてこそなので、自負を持つな。文句があるならビートマニアで勝負しろ。俺よりビートマニアが上手かったら聞いてやる」とのことでした。最高の後輩です。

なかなかに暴論、しかしこれは面白いぞと思ってしまいました。
こんなエッセイもどきをnoteのサーバを圧迫させて書いている私が言うのも何かおかしいかもしれませんが、エンタメとは全てが無駄です。
無くても生きていけます。
人間は米と野菜と肉、あとは適度な運動と睡眠。それさえあれば寿命まで生きられるのです。
スポーツ観戦なんて必要ありません。
スポーツが上手い子供がいても「おお、すごいじゃないか」となるだけです。
見る人間、それを売る人間が居るからこそエンタメとしてマネタイズ出来るものなのです。
なのでスポーツが上手いだけで他に何もない人間が(ド偏見)、自負を持つなというのは筋が通っているように思います。
私もただの文章製造機です。
少し頭のネジがハズレた人が「う~ん、君の文章本にしちゃう!(笑)」と言って初めてそれは価値となるのです。
※ここでプライスレスの話をしないでください。想いでメシは食えません。

暴論なのですが妙に納得してしまいました。
うちの後輩はこういうことをしてくれるので嫌いになれないのです。

ぼく「結構考えてみたけど、気持ちわかるわ」
後輩「先輩ならそう言ってくれると思いました」
ぼく「どういうこと?」
後輩「人の心がない人間じゃないですか。ロジハラするし」
ぼく「急に悪口言うね?」
後輩「あ、そろそろ自分落ちます」
ぼく「ういー。仕事?」
後輩「いえ、集中したいんでちょっと推しのアーカイブ見ながらやります」
ぼく「……V?」
後輩「V。最近はスパチャも投げてる」
ぼく「……」


オチをつけるのもうまいな?
こうして人は人に価値を与え続けて発展していくんですね。
メイドインアビスかな?
今回は以上。





おまけ
じつは私、今まで「推し」という「推し」がいませんでした。
その事実に気づいて部屋の中をうろうろしながら考えてみましたが、特別推しという推しは居ないんです。
なんか寂しい人間だな……と思っていたんですが、今着ている服でわかりました。
さまぁ~ずチャンネルのパーカー着てますわ私。

……おじさんは、おじさんを推しています。

サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。