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恋愛?ああ、あの軟弱者がやるやつのことね【エッセイ】

先日、誕生日を迎えたので改めて少しぼーっとしてみました。
時間の使い方で最も贅沢なのは、映画を見る時でも友人と居るときでも恋人と愛を語らう時でもなく、ぼーっとする時です。理由はすべて自分のものだから。一人で一人の時間を味わうのは、この上なく贅沢なことだと感じます。

その思考が結構厄介でして、昔から私は一人でなんでも楽しめるフシがありました。片親だし、父は仕事でおらず兄は年が離れているし盗んだバイクで走るような輩だったので、それは当然だったかもしれません。
しかしながら、子供の頃の私はおそらく今の100倍くらい友達がおり、けして孤独な人間じゃなかったと記憶しています。帰宅したらランドセルを玄関に放置して誰かの家や公園で遊ぶ、健康的な少年でした。

しかし何か一つ闇というか「どうしても一人になりたい瞬間」というのがあったのも事実です。中学くらいの頃には仲の良いグループの友人から「ああ、また例の」みたいに言われていました。そのグループでは毎日どこかで遊ぶのが基本だったので、私が用もないのに帰りたがる様をみてそう言っていました。「あいつの例の帰りたがり病」です。
昔は結構それが後ろめたかったのですが、今はそんな事ないですね。一人、最高に楽しいです。私一人が大好きなんです。ですが、それが数人の友人らが支えになって、ということはわかっております。一人が好きだからこそわかる、人は一人じゃ生きられないということ。
は? なんか真面目なエッセイじゃないですか? 閑話休題。

恋愛は性に合わない

ありがたいことに、今まで何人か異性とお付き合いさせていただきました。おそらく全男子の中でも平均くらいの人数でしょう。
しかし、私の恋愛はいつも一年で終焉を迎えます。理由は簡単、ボロが出るからです。
さきの考え方があるからこそ「人は結局一人じゃないですか?」とシラフで真顔で言い放つので女性が「あっ」みたいな感じで去っていってしまうのです。
そりゃ嫌ですよね、
だって恋愛は依存の関係を探す行為じゃないですか?
一人じゃ生きられない軟弱者たちが寄り添って乳繰り合うのが恋愛じゃないですか?
私の気持ち、とか俺の思い、とか、そういうなんか抽象的なことを言い合って仕舞いにはそんな細かい事を気にする余裕もなくなり惰性的に関係を続けていくのが、恋愛ってやつじゃないですか?

(ここまで太文字使ったの初めてです。なんか大事なことがありすぎる教科書のラインマーカーみたいですね)

ということで、私が恋愛が性に合わない性格をしているということがおわかりいただけたと思います。すみません、石を投げないで下さい。
学生の頃はそれでも楽しかったです。好きな子のことを思うと眠れないって本当にあるんだ、とか。その子が別の人と話してるだけでやきもきする、とか。本当に自分の中にあるんだって驚いたりもしました。本や物語の中の話じゃないんです。
それでも、恋愛って学生の時間があるうちの本当に限られた青春だからこそ輝くものなんじゃないかって思うんですよ。損得を考えずただ単純にまっすぐ人を愛するという心というのは私の大好物です。恋愛漫画、映画、小説大好きです。人の健気で真っ直ぐな心というのが私の涙腺に響くことを私は知っているのです。

でもそれが自分だと思うと、なんか萎えてしまいます。
そう考えるやつは、もう恋愛はやり終えてるんだなって思います。
実は私は男なのですが(衝撃の事実)女性とは別の生き物だと年を重ねる毎に思います。分かり合うには違いすぎる生き物のようです。
例えば皆さまも、人間を解体することにしか快感や生きる意味を感じられない人や、他人を苦しめることを生業にして常日頃他者を傷つけることしか考えられない人と手を取り合って、一緒に生きていけないですよね? 私にとって恋愛とはそういうものなのです。
淡々と進めてますけど多分一番自分がヤバいということはわかっています。恋愛している人をサイコパス野郎と言ってるみたいなもんですからね。

史上最低のタイトルになったなあ、と思いながらこのエッセイを閉じさせていただきます。
先日、取引先と飲み会があったときに「私、最近彼氏と別れちゃって。私とお試し恋愛してみます?」と言われたので書いてみました。
なんだお試し恋愛って。
お試しってことは冒頭10分くらいの絡みしか見られないってことか。だったら嫌だ。ぼくは本編映像が見たいんだ。
せめて最初の濡れ場だけでも終わりまーす

※タイトル候補
「恋愛はもう、やり終えました」→インパクトにかける
「恋愛ってあの弱者が集う、あの?」→流石に悪口がすぎる

サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。