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【エッセイ】「コーンとカップどちらになさいますか」

コーンに決まってるだろ!!!!!

私はアイスクリームやソフトクリームが好きで、サービスエリアや観光地などに行くとご当地のものはかかさず食べてしまうほどです。
わさびアイスや漬物アイス、日本酒のアイスなんかも食べた気がします。
その際に毎回聞かれる質問が今日のタイトルです。
「コーンとカップどちらになさいますか」
なんですかその質問? コーン、コーンではないんですか? コーンあってこそのアイスクリームなのではないのでしょうか。
もちろん人間は十人十色好みは人それぞれにございます。
それでも例えば、「ここのつけ麺屋さんは200gから1000gまで値段が一緒だから1000gにしたほうがお得だぞ!」と言ってるわけではありません。
お店側が提供する「最もアイスクリームに適した食べられる土台」がコーンなんじゃないんでしょうか。
別にカップを選ぶ人と喧嘩をしたいわけじゃありません。
単純に、疑問なのです。
なぜ美味しいコーンを断って、紙(食べられないことはないが食べ物ではないのでできるだけ食べないほうがよいもの)の上にアイスを乗せて食べているのでしょうか。
しかも、カップにするとスプーンが必要になるじゃないですか。
コーンならそんなもの入りません。それごと食べられるのです。
男たるもの外に出れば3万人くらいの敵が現れるものです。片手はあけておかないと。断然コーンが有利です。
「私はアイスクリームが食べたいのであってコーンが食べたいわけじゃない」
わかります。その意見、わかります。
わかるけど、でも、必要でしょう山椒が。うな重には山椒が必要でしょう。
私はコーンはそこの域の存在だと言っているのです。
山椒の無いうな重なんてうな重ではない、というのは言いすぎですが
山椒の無いうな重なんてうな重ではありません。
失礼、興奮しすぎて日本語がぶち壊れてしまいました。
今はアイスクリームの話ですね。

知っています。
カップ派閥の人が言いたいことは。したいことは。
「格好つけ」ですよね。わかります、大丈夫です口を閉ざして。知っています。
「格好つけ」ですよね(二度言ったのは大事だからです)
実は私も経験があります。
私がまだこんなにひねくれずインターネットの海に溺れず輝いていた、青春時代のことです。
ありがたいことに私と休日遊びに行く約束をしてくれた天使のような女性が現れました。いわゆるデートというやつです。
私と彼女は大きなイベントがやっている公園に行きました。出店や芸人の方が芸をやっているような、そんな公園です。
そこで私は見つけたのです。アイスクリームのお店を。
彼女に「色々あるね。何か食べようか。たこ焼きとかアイスクリームとかフランクフルトとかアイスクリームとか」とごく自然に誘導して二人でアイスを食べることになったのです。
今でも覚えています。私はミルク、彼女はミックスです。
ミックスのソフトクリームに対して「結局選びきれない優柔不断の中途半端で欲張りのどっちつかず野郎が選ぶ味」という印象を覚えるのはしばらく先のことになりますので、この時はニコニコしながら店員さんのアイスさばきを彼女と見つめていました。
その時に聞かれたのが例の愚問「コーンとカップどちらになさいますか」です。私はコーンと答えようとしました。だって、コーンが美味しいから。みんなそうだと思っていたから。
そんな私より先に彼女は「カップで」といったのです。信じられます?「カップで」ですって。しかも当たり前かのように。「私はアイスをカップで食べるです。そうなのです」みたいな当然の顔をして。
一瞬、ほんの一瞬です。私がフリーズしたのは。
私は「ミルクもカップで」と言いました。そこに感情はありませんでした。
同時に出来たミルクとミックスを受け取り、私達は目を合わせて笑いました。
青春時代のほろ苦いエピソードです。
そう、こんなにもコーンコーンうるさい私は、なぜかカップを格好いいと思ってカップにしたことがあるのです。

だからカップ派は格好つけたいんでしょ(暴論)知っているんですよ私は。
もしかしたら、私がこんなにも口を酸っぱくしてコーンにこだわるのはその経験があるからかもしれません。
自分の好みを曲げ、世間の目を気にした過去の自分に対しての贖罪なのかもしれません。
ぶっちゃけ年もそこそこなので「コーン重いけどアイス食べたいな……」という時もあります。でもコーンを選びます。
なぜならこれは贖罪なのだから。あの時私が裏切った、私自身に対する心のケアなのです。
だから私にその質問を投げないでください。
私の答えは決まっているのです。
「コーンで」
私は今日も、そう言い続けるのです。








サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。