等身大でいることの難しさよ

エッセイを書くのを趣味にしていたことがある
エッセイを読まなくなったら、書くこともやめてしまった

というより、書き方がわからなくなってしまったのだと思う

句読点、入れるかどうか
文体をどうするか
そんなこと考えていると、親指が動かなくなってしまう

またnoteに文章を投稿しようと思い立ったので、今後の目標は【背伸びをしないこと】にした

これがまた難しい
等身大でいることの難しさよ

最近
[尊敬している人]について考える機会があった
何人も頭に浮かんできたけど、しっくりくる人は1人だけ

高校時の先生
クラス替えのない音楽科の3年間、音楽の先生で私たちが卒業する時、丁度定年退職したW先生

W先生は私たちから見たら、大人で紳士で落ち着いていて、常に正しくて常にしなやかで常にドライで常に温かい人だった

例えば、「もしどこかで私に会うことがあったら[〇〇年に卒業した〇〇です]と最初に伝えてから話しかけてください」というドライさよ
でも冷たいのかというとそんなわけでもなく
生徒一人ひとりのことをしっかり見ていて、的確な時に的確なアドバイスをしてくれる温かい先生だった

友人は音楽の技術面でいつも落ち込みそうになる時、必ずW先生が一言声をかけてくれたと言っている
絶対タイミングを外さない
だからあの時がんばれたんだと

私は早々に音楽を諦めていたので、音楽で落ち込んでアドバイスをもらったことはないけど、先生はいつも「あなたはちゃんと掃除をして偉い」と褒めてくれた
なんか文章にするとそんなこと?って思うけど、当時の私は先生がちゃんと見ててくれるのが嬉しかった
家族が褒めてくれるから勉強に精を出していたけれど、先生はそこではなくて掃除を褒めてくれた
それが私の本質で、それを知っていてくれたのが何より嬉しかった

こういう話はかなり多い

高校の友達と会う時、必ずW先生の話題になる

「W先生が[若い頃仕事に行きたくなくて、公園で1日ぼーっとしてたことがある]って言ってたの思い出したら仕事に行けた」とかなんとか

先生が何気なく言った言葉が、今でも私たちの支えになっている

さて、W先生の何を尊敬しているかというと、いつもあるがままの等身大の自分を見せてくれていたことだ

偉そうぶっても、高校生の私たちにはわからないしどうでも良かったのに、先生は常に等身大でいてくれた
手の届く大人でいてくれた
失敗談をたくさん聞かせてくれた

尊敬する人を考えた時、先生が浮かんできたということは、私は【等身大で生きる人になりたい】と思っていることに気がついた

それが難しいと何度も言っているけれど
背伸びをしたくなる時に思い出せたら良いと思う

とりあえずそこから始める

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