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えっせい革命 ※noteを書き始めたわけ


最近、ふと読書をしたいなと思うことが増えた。
それも小説ではなく、エッセイを。
これは私の中では大きな革命である。

革命と呼ぶような所以は2つ。
1つは、読書をしたいと強く思うようになったことがここ10年でもほとんどなかったから。
小学生〜中学生途中くらいまでは、学校の図書室や街の図書館が最も落ち着く居場所であった。
小学生にはお馴染みの青い鳥文庫や、少し背伸びした司馬遼太郎など、様々な小説を読んでいた。
時々一つ先の駅にある祖父の家に遊びに行った時は、近くの本屋で一冊の本や漫画を買ってもらうことが大きな楽しみだった。

高校受験からの逃避も、読書だった。
海堂尊の「チーム・バチスタ」シリーズや有川浩の小説を、勉強するフリをしてこっそり読み耽っていた。親不孝なものである。

そんな読書少年が、高校入学とともにスマホと出会うことで、一気に現代っ子らしくスマホ少年に変わってしまった。
スマホ少年になってまもなく10年、出会ったものはTwitterや Instagram、あとは映画やサッカーの知識人達からの深い学び。意外と悪くないのかもしれないな…
どれも映画とサッカーが好きな今の私を形作ってくれたものだ。

しかし新たな本との出会いは一気になくなった。
印象に残った映画は数多く挙げられるが、同様の小説は一切ない。本を読む集中力を完全にスマホに奪われていた。

しかしそんな私が今は本を読みたいと心から思う瞬間がきた。これは革命だ。驚きだ。
そして少し嬉しい気持ちにもなる。

そして私が「本を読みたい」と思うようになった理由が、2つ目の所以にあるように思う。

驚くべきことに、私が今読みたい本は小説ではない。エッセイなのだ。
どうやらストーリーを楽しむ創作物は、映画で事足りているのかもしれない。また小説を楽しめるようになりたいなという思いはあるが、無理にするようなことではない。

今の私は、素敵だなと感じる人が、日常でどのようなことに触れ、感じ、どのような思いを持っているのか。
そのようなことに強く惹かれている。

社会人となった私は、営業職として日々様々な人と触れ合う機会が増えた。
上司のパワハラにより精神に支障をきたしたこともあった。
週末はいつもヘトヘトだ。

そんな中で、ふと人の心の中(それも、自分が素敵だなと思う人)を覗くような、落ち着いて心に沁みるようなひとときを求めているような気がする。
もちろんこれまで同様映画も好きだが、それによって刺激をもらいすぎることにも疲れているように感じる。

とはいっても1週間に1冊読み進められるかどうかのレベルだが、月に何冊も本を読みたいと思っている自分の変化に心躍らされた。

そしてエッセイを読んで人の心の中に触れるうちに、その時々の自分が何を感じているのか、目に見える形に表現することはとても大切なことだなと思い、このような形で文章にしている。

「無理しないように続ける」がモットーのためどれだけ続けられるか、どのくらいの頻度で書けるかわからないが、その時々で感じたこと、心のうちに思うことを記録も兼ねて残していきたいと思う。

続けられますように。そして、いつか歳を重ねた自分が読み返して、良い意味で感慨に浸れますように。

そんなわけで読んでいる、星野源さんのエッセイ

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