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【番外編】麻雀note書きおじさん(笑)がビートルズの『ナウ・アンド・ゼン』を聴いて号泣したのでnoteにしてみました【もちろん無料公開です】

改めましてこんにちは。私は、麻雀(たまにサッカー)のことなら何でも面白可笑しくnoteを書いている、麻雀note書きおじさん(笑)です。すいません、「越佐えっさっさ」などというフザけた名前で(笑)。

おじさんにはルーティンみたいなものがあって、それは「noteを書くのにテンションを上げたい時は『デイ・トリッパー』と『ドライブ・マイ・カー』を聴く」です。理由はよくわかりませんが、なぜかこの2曲が合っているんですね。ちなみに、私が最も好きなビートルズナンバーは『トゥモロー・ネバー・ノウズ』です。

そんなおじさんですが、noteそっちのけで、ビートルズの新曲『ナウ・アンド・ゼン』に夢中になってしまいました。このままではnoteが書けないので、ビートルズと『ナウ・アンド・ゼン』についてnoteを書くことで、普段のnote活動に戻れたらと考えています。もちろん、少しでもビートルズの魅力が伝わるといいな。

注:基本的に私のnoteでは人名に敬称を付けますが、今回に限り、「ジョン」「ポール」「ジョージ」「リンゴ」でいかせてください。「The Beatles」も「ビートルズ」で統一します。だって「4人はアイドル」だから。

もう1つ、ここでの内容はあくまでも私が経験したり思ったりしたことを書いただけであり、一般的な見解や正しい情報に基づくものではありません。「どうやらおじさんが4分ちょっとの曲を聴いたらおかしなことになった」というふうに思っていただけると幸いです(笑)。




1970年4月10日

昭和45年。

この年の英デイリー・ミラー紙4月10日付の1面で、「ポールがビートルズを脱退」と紙面をデカデカと飾ったことにより、その日を「ビートルズが解散した日」と定義しているようです。語尾を「ようです」としなければならないのは、私がその時にまだ生まれておらず、伝聞でしかその情報を得ていないから。

私は1971年(昭和46年)生まれで、ビートルズのグループとしての活動を、リアルタイムで体験できませんでした。私が生まれた年に、ジョンのソロアルバム『イマジン』や、ポールのソロアルバム『ラム』が発売されていますね。ジョージの『オール・シングス・マスト・パス』やリンゴの『センチメンタル・ジャーニー』は、解散した1970年ですか。つまり、私の実体験としては、4人は既にソロアーティストだったんです(ウイングスとかあったけど)。

でも、私が子供の頃は、無意識のうちにビートルズが体内へ取り込まれていたんですね。たとえば、『ひらけ!ポンキッキ』(注:1973〜1993年までフジテレビ系列で放映されていた子供番組)では、『プリーズ・プリーズ・ミー』の「カモン(カモ〜ン)」や『ベイビー・イッツ・ユー』の「シャララララララ〜」が断片的に使われていました。そういえば、ガチャピンのモデルがポールでムックがジョン、なんて説もありましたね(いや、私は今でも信じていますよ?)。

ちなみに私は、

こういうnoteまで書いちゃう元クイズプレイヤーの麻雀ファンです。先代の『パネルクイズアタック25』って、オープニングでエールフランスの飛行機が離陸する映像を使っていたじゃないですか。あれの離陸音って『バック・イン・ザ・USSR』の冒頭を拝借したものでしょ?違うんですか?(誰か正しい情報を教えてください)

他にも、

  • 『突然ガバチョ!』のOPテーマが『ア・ハード・デイズ・ナイト』だった(注:1982〜85年にMBSで放送されていたバラエティ番組で、笑福亭鶴瓶さんらが出演。「テレビにらめっこ」とか覚えていますか?)

  • 中学校で掃除の時間に流れていたBGMが『ペニー・レイン』や『レディ・マドンナ』など、中後期ビートルズナンバーのクラシックアレンジだった

など、知らぬ間にビートルズを「摂取」していたんです。だから、ビートルズの曲はちょっとだけ知っていた感じ。

でも、10代までの私は、どちらかといえばザ・ローリング・ストーンズのほうが好きだったんです。『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』のMV(ミックがメイクしているバージョン)を見て、「すげぇ〜かっけぇ〜」って思ったんですよ。小6か中1の時に、『ベストヒットUSA』を見たんだっけ。それからは、ひたすらストーンズのカタログを漁るようになり、ビートルズは興味無いって感じでした。

それと、10代の私は洋楽好きでロック好きだった割には、楽器をやりたいとは考えませんでしたね。理由は大きく2つあって、1つは私が大学生までクイズマニアみたいな感じだったので(戦績はともかく)、バンドやろうぜ!とかいう発想がなかったこと。もう1つが、楽器をやるには私の指が短すぎるんですよ。私の身長は175センチなんですけど、手の大きさが150センチあるかないかの女性並みなんです(笑)。


1995年12月31日

平成7年。

社会人2年目の私は、1人寂しく大晦日を迎えていました。しかし、密かに楽しみにしていたことがあったんです。それは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の放送。アメリカとイギリスで放送された、ビートルズの結成から解散までを描いたドキュメント番組が、『NHK紅白歌合戦』の裏番組(テレビ朝日系列)として放送されたんです。

この時も、まだ私はストーンズを聞く毎日でした。その時点でのストーンズの全カタログは、ほぼ制覇していたはず。しかし、ストーンズのライバルとされていた、ビートルズのことも知っておきたいと思ったんです。そこで私は、ビデオに録画しながらも、紅白そっちのけで『ザ・ビートルズ・アンソロジー』を見ることにしました。

5時間半の番組は、あっという間に終わったように感じられたのを、今でも覚えています。私の世界は確実に様変わりしていました。ただ圧倒されるばかり。

『ドライブ・マイ・カー』。第一印象は「えっ、これもビートルズなの?」でした。こんなモータウンっぽいソウルフルなナンバーもあったかと、感心させられました。

『トゥモロー・ネバー・ノウズ』。コードがCのみ(ベースがちょっとだけ動きますが)、歌詞もシンプル。なのに、無限の広がりを見せる作品。乾いた音のドラムもクセになります。

『レボリューション』。世界中のアイドルだったバンドの歌詞が「毛沢東の写真なんか持ち歩いてりゃうまくわけねぇ」ですって。ミキサー直つなぎのギターといい、尖りまくり。

今じゃ当たり前のように知っている曲を、当時の私は全く聞いてこなかったんです。そんな私がビートルズナンバーの洗礼を受けたわけですから、もうただ事ではありませんでした。次の日、早速私はTSUTAYAまで車を走らせて、ビートルズのアルバムを借りまくりました。


2023年11月2日

令和5年。

「ポールがAIを使用してビートルズの新曲を完成させようとしている」というニュースを、2023年に聞くとは思いもよりませんでした。

AIを使うことで、ジョンの歌声を再現するとのこと。「それってビートルズなのか?」と私は少しだけ懐疑的でしたが、既に私は立派なビートルズファン。アルバムはほぼ全部揃えたし、マーク・ルウィーソン氏の『ビートルズ/レコーディング・セッション』やティム・ライリー氏の『ビートルズ全曲解説』も読みました。もし新曲が発表されれば、当然聞くに決まっています。

実は、2022年にポールは、亡くなったはずのジョンとの共演を果たしていました。

映画『レット・イット・ビー』の作中で使われた曲『アイヴ・ガッタ・フィーリング』の、ジョンのボーカルパートだけを抜き出したものに、ポールが合わせて歌ったんですね。それは紛れもなく、20代のジョンと80代のポールによる、2人のデュオでした。こんな感じにうまくいけば、もしかして新曲もイケるかもしれないと、私には思えました。

さらに、

11月2日の日本時間23時に、ビートルズの新曲『ナウ・アンド・ゼン』が配信されると発表が。「本当に新曲が出るんだ…」私には、何とも言えない感情が湧き上がりました。

そして、ついにビートルズの27年ぶりにして最後の新曲、『ナウ・アンド・ゼン』が配信されたのです。

聞いた直後の感想を正直に書くと、「なんかピンとこない」でした。確かにいい曲なんだけど、大傑作かと聞かれれば、イエスとは即答できない感じ。『イエスタデイ』や『ヘイ・ジュード』のような、未来永劫歌い継がれる曲ではないのかなぁ、って思いました。好みの問題かもしれませんが。

そもそも、『ナウ・アンド・ゼン』が大傑作クラスの曲だったら、ジョン生前最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』には入っていたと思うんです。1977年に録音された『ナウ・アンド・ゼン』のデモテープを、1980年に発表されたアルバムのために引っ張り出していたんじゃないかと。それがされていないってことは、『ナウ・アンド・ゼン』はそこまでの曲だった、って考えができるかもしれません。

それでも、『ナウ・アンド・ゼン』の意義は大きいと考えています。やっぱり『ナウ・アンド・ゼン』はビートルズの曲でした。AIを使ったとはいえ、あのボーカルは紛れもなくジョンです。私は全く違和感を覚えませんでした。

少しだけジョージの存在感が薄いかなと感じましたが、ビートルズの曲って必ず4人が演奏しているものばかりではありません。『ジョンとヨーコのバラード』はジョンとポールだけ、『ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード』はポールとリンゴだけでレコーディングされていますから。なので、『ナウ・アンド・ゼン』も間違いなくビートルズの作品です。

そんなことを考えていたら、私は胸が熱くなりました。だって、2023年にビートルズの新曲ですよ?1970年に解散して、既にメンバーの半分がこの世にいないバンドの曲が、4人の音が入った状態でリリースされたのですから。その日は23時過ぎに『ナウ・アンド・ゼン』を聴きましたが、興奮してなかなか寝付けませんでした。


2023年11月3日

27年ぶりのビートルズの新曲が聴けただけでも興奮しましたが、さらに私の感情をかき乱すことが起きました。『ナウ・アンド・ゼン』がリリースされた翌日に、ミュージックビデオも公開されたんですね。

このMVを見た直後、いや、見ている途中から私は号泣しました。「これって、まさにビートルズの集大成じゃん!!!!」20代のビートルズ4人と、30代のジョンと50代のジョージ、それに80代のポールとリンゴが勢揃いだったんです。あえて陳腐な表現を使えば、それは夢の共演。

もちろん、それはCG合成したものだと、私は認識しているんです。でも、違う世代の4人が、あまりにも自然な形で同じ画面の中に収まっているように見えました。ジョンがストリングスの面々を前にはしゃいでいるのなんて、あの世代のジョンならやりかねないじゃないですか。

MVの構成も秀逸で、『ナウ・アンド・ゼン』のレコーディング風景から始まり、海を眺めるジョン(らしき人物)へ。曲が終わるにつれて、ラストフォトセッション→『ヘイ・ジュード』のMV→『ペイパーバック・ライター』のMV→シェイ・スタジアムのコンサートといった感じで時代が遡り、ついには若かりし頃の4人の写真まで。お決まりだった曲終わりのお辞儀を4人がすると、いつの間にかバンドセットだけが残されて4人は消える、というMVのラストを迎えます。

私には、クイーンの『ショウ・マスト・ゴー・オン』やストーンズの『アングリー』のMVが頭に浮かびました。どちらのMVも、それまでのキャリアを凝縮したかのような内容。クイーンのほうはリリースして1ヶ月後にフロントマンを失うことになり、ストーンズは奇しくも『ナウ・アンド・ゼン』と同じく2023年にオリジナルメンバーを欠いた状態で発表しました。そう思えば、私は『ナウ・アンド・ゼン』を見て、少しだけ悲しい気持ちになったかもしれません。

でも、やっぱり『ナウ・アンド・ゼン』は、ビートルズのキャリアに必要だったと考えています。ひょっとしたら、この先ビートルズの未発表音源が発見されるかもしれませんが、『ナウ・アンド・ゼン』を「最後の新曲」と明言したことで、ビートルズという物語にピリオドを付けられたのではないでしょうか。それにしても、見事な幕切れ。まるで「アビーロードメドレー」です。


おしまいに

私はこのnoteを書くまでに、『ナウ・アンド・ゼン』を考察した記事や動画をたくさん目にしました。やっぱり、『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に入れたくても入れられなかった『ナウ・アンド・ゼン』を、どうしてもポールが完成させたかったんじゃないでしょうか。1に『フリー・アズ・ア・バード』、2に『リアル・ラヴ』を入れたのに、3だけ新曲無しでしたからね。「now and then I miss you」と思っていたのはジョンだけではなく、ポール(そしてジョージとリンゴ)も同じだったのでしょう。

若い人の中には、ビートルズを「古臭い」「音がスカスカ」なんて思っている人がいるかもしれません。でも、おじさんから1つだけ言えるのは、「今はよくわからなくても、何十年も経てばビートルズの良さがわかるよ」です。もし、これからさまざまな音楽を掘り下げていこうとすれば、必ずビートルズに突き当たることは多いはずですからね。それだけビートルズって、今のポピュラー音楽を確立させるのに大きく関わったんですよ。「えっ、これもビートルズが始めたの?」ってこと、結構ありますからね。

もう1つ、

『ナウ・アンド・ゼン』の制作ドキュメントもおすすめです。

もちろん、リニューアルされた赤盤や青盤なども聴くと、より『ナウ・アンド・ゼン』への深みが増すかもしれません。


ここまでご拝読いただき、誠にありがとうございました。

思い入れあるテーマゆえ何度も書き直しましたが、やっとこのような形になりました。微力ではございますが、少しでもビートルズや『ナウ・アンド・ゼン』の魅力が伝わればと存じます。


I got blisters on my fingers!(指にマメができちゃったよ!)


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