「批判すること」について麻雀note書きおじさん(笑)はツイー、いやポストしようと思いましたが、やっぱりnoteに書きます。

正直おじさんは辟易しています。いろいろと迷いましたが、結局noteにしました。そのほうが私らしいですから。




私は卓外のことにあまり興味はありません

私が興味を持っていることって、麻雀の試合だったり、試合に出場している選手だったりします。麻雀に関するものなら何でもnoteにできちゃうのが私の強みでもあるのですけど、別に何でも知りたいってわけじゃありません。元クイズプレイヤーなのでそれなりに知識欲はありますけど、やっぱり不要な知識ってあるんですよね。

特に、卓外のことにあまり興味ありません。だって、それが麻雀にどう影響するの?って考えるので。確かに、麻雀の打ち筋にパーソナリティが現れるみたいなことは聞きますけど、親兄弟・パートナーでもないのにいちいち卓の外のことを干渉するのってメンドクサイ。

もちろん人様に迷惑を掛けたり、ましてや罪を問われたりする行為など、良くはありません。でも、犯罪者を逮捕するのは(現行犯を除いて)警察の仕事だし、公共の場でガキがギャーギャー喚き散らしているのを子供が騒いでいるのを叱るのは親の役目なんです。適任者ってのがいるじゃないですか。

私は、1つミスしただけでその人が吊るし上げられる感じが好きじゃないんです。吊るし上げた側を「じゃあアナタは完璧な人間なのですか?」って思っちゃうもん。ミスって誰でもありうることでしょ?「nobody's perfect.
(完璧な人間などいない)ですよ。

個人的なことを言わせてもらえば、おじさんの世代は「氷河期世代」って呼ばれるんですよ。これから就活って時期にバブルが崩壊し、それで就活が思ったようにいかなくなって、それで躓いたのが30年ほどずーーーっと響いちゃってるんですよ。

だから、1ミスしただけで鬼の首を取ったようなことは言わないほうがいいんじゃないですかねぇ。「犯罪者は死ぬまでずっと犯罪者」ではないでしょ?挽回するチャンスは与えられるべきです。


ツイッ、いやXは便利なSNSですけど

ツイッ、いやXって便利なSNSですよね。ふと思ったことを短い文章にして、ツイー、いやポストという形で投稿できる。文章を書くことへのハードルを、大きく下げたのがツイッ、いやXだったのではないでしょうか。

しかし、ハードルを一気に下げすぎたかもしれませんね。〇BEMAのコメント欄とかもそうですけど、手軽に投稿できちゃう分、あまりにも感情的になり過ぎているんですよね。感情的な投稿って時には的外れになっちゃうんです

こう書くと、なんだかおじさんはエラそうに見えるかもしれません。でも、おじさんは週2ペースでnoteを書けるほどですし、note以外でも文章を書いているんです。詳しくは、私のクリエイターページの「仕事依頼」とかを一読いただければ早いでしょうか。よって、そういったことに一言添える資格はあると考えています。

設定次第かもしれませんが、ツイッいやXからは真実かどうか疑わしいことが見え過ぎなんですよ。よくも調べずに聞き齧ったことをそのまま投稿したり、推測や憶測でしかないことを平気で投稿したり。中には、平気でデマを流布する輩がいるから困ったものです。

サッカー界隈だと、その手のツイー、いやポストがよくあるんですよ。「〇〇選手移籍の噂」とか「△△補強の可能性」といった具合に。でも、あくまで「噂」や「可能性」なんですよね。そんなのがツイッ、いやXで溢れているから、私はニュースアプリや専門サイトの確定情報しか読まなくなりました。

私としては、ツイッ、いやXで知り合いの近況がわかればそれで結構なんです。しかし、余計な情報も目にしちゃうんですよね。そういう情報って、読まなくてもいいのに気になっちゃうから厄介。


「批判すること」がカジュアルになり過ぎている

誰でも気軽に書き込めるSNSの有効性って、あるとは思うんです。しかし、「そんなに軽々しく書き込んじゃって大丈夫?」って感じられることは多いんじゃないでしょうか。特に、批判することがカジュアルになり過ぎているように感じています

確かに、今の世の中への不平不満が少ないわけがありません。ここに挙げればキリがないので割愛しますけど。それゆえに、今の世の中に物申したくなる気持ちはわかるんですよ。物価なんて、ここ1〜2年で一気に上がっちゃいましたからね…。

だからといって、何を言ってもいいわけではなのです。時に言葉は刃になります。忘れたのですか?言葉が刃になって、人の命を奪ったことを。

そのことは上のnoteで大体は書いたので、そちらに任せます。最近でも、国民栄誉賞受賞者が可哀想なことになりましたよね。あれってもしかして、言葉が刃になったんじゃないですか?余計なお世話かもしれませんけど、私は懸念しています。

批判って気安く言うものじゃないですよ言う側もそれなりの覚悟を持たないとダメだと思います。つまり、言いっ放しはダメ、ちゃんと責任持てってこと。

そもそも、140字以内で赤の他人を説き伏せようだなんてそんな簡単なことじゃないですよ。だいたい、身内からならまだしも、赤の他人から文句を言われるという事実だけでもムカつくじゃないですか。顔が見えているならともかく。知りもしない人から何か言われるって、相当傷付きますよ。

厄介なのが、傷付き具合が人によって違うこと。ノーダメの人も多いでしょうが、私みたいな「ガラスのハートを持つおじさん」は応えますよ。そういう人って、「何が良くなかったのか?」「自分に落ち度はなかったか?」って省みますから。気にするなって言われても、どこかで気にするものですよ。

あえて個人的な意見を乱暴な言い方ですると、「誹謗中傷と批判の違いがわからないレベルのヤツは黙っておいたほうがいい」です。発言に責任を取れない人は、意見すべきではありません。「言論の自由」とか言いますけど、自由には責任が伴うものですよ。ニートやフリーターが他人の思うほど自由ではない、みたいなものです。

このnoteもそうですけど、私のnoteってかなり気を遣って書いているんですよ。それは、語尾に現れているはずです。私のnoteって、ほぼ「ですます調」にしているんですよ。

noteのメインターゲットを麻雀の未経験者からビギナーにしていることもありますけど、私のポジションでエラそうに見えることって、なるべく慎まなければならないのです。高圧的に見えたりしたら、noteに取っ付きにくいですからね。

つまり、人に意見する時は、それくらいの配慮が必要ではないでしょうか。「もし自分がそれを言われたらどう思うのか?」を考えてみれば、それが言うべきことか否か判断できると思いますよ。「相手に何を言われようが構わない」っていうのなら、それなりの覚悟を決めておかないと。

それと、「匿名だから何を言ってもノーダメ」って考えは捨てないと。今や多くの企業が、厳然たる態度を取る方針になっていますね。そもそも、匿名のつもりでSNSに投稿したものって、いくらでも発生源を特定できるみたいです。それで示談だとか裁判だとかになっているみたいなので、あまり大人を怒らせないほうがいいですよ?


おしまいに

2023年11月20日のMリーグは、解説がASAPINさん(朝倉康心プロ)でした。ASAPINさんも、私同様にメンタル強くない系との定評がありますが、その日の発言でとても刺さったものがあったんですね。それは、「選手の選択を尊重してほしい」ということ。それをできていない人、多くないですか?

だいたい、麻雀店でフリーとか打っていて、知らねーオッサンから「第1打はそうじゃない」「これは必ず鳴け」「そんなの切ってたら勝てない」とか言われるのイヤじゃん?自由に打たせろって思うじゃないですか。そういうのをコメ欄とかでやる人多いのよね。自分がやられて嫌だと思うことって、人にはやらないのが普通でしょう。

しかし、これだけ書いても全く響かない人もいるみたいなので、正直メンドクセーって思っています(笑)。手を変え品を変え、折に触れて言っていくべきなんでしょうかね。別のnoteで書こうと思っていますけど、「やればできる」事例もあるので、私は諦めていません。でも、しょーもない批判とかが続くようだと、私はしつこくnoteに書きますからね。


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