母が入院して料理が出来るようになった話。

8月17日、その日、僕は大阪にいた。九州から来ていた友人と一緒にプロ野球を観戦し、夜には食事をすることになっていた(友人のメインの目的はその翌日のサマソニである)。

京セラドームの自由席でオリックス対ロッテの試合開始を待っていたその時、父からメールが入る。簡単にいうと、「母が骨折して入院した。命に別状はない。3週間程度の入院が見込まれる」。僕は激しく動揺した。試合がすぐに始まったが、3回位まではほとんど言葉を発しなかったと思う。動揺した理由は簡単だ。僕も父も、自炊の経験がないのだ。

翌日、予定を早めて富山に帰って、すぐに病院に行った。母を見ると、顔に傷があって、かなり痛々しい。それに覇気が無い。表情が乏しい。入院直後ということで、動作がベッドの角度が制限され、それも辛そうだ。

さて家事をどうするか。結局、父が掃除と洗濯をし、僕が夕食を作ることになった。実は僕は仕事で従業員寮の賄いを手伝ったことがあり、少しの知識と経験はあった。だが、自分が食べていくために料理をしたことがなかったので、不安で一杯だった。母に、「Cook Doを使えばやり方も書いてあるし、簡単だよ」と言われていたので、それに従う。そして出来たのがこれだ。

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遠征の疲労と心労でくたばっていたが、作ってみたら確かに簡単だ。これは意外と何とかなるかもしれない。

それから病院通いと、料理をする日々が始まった。

2日ほどすると、母の表情に覇気が戻ってきた。ベッドの角度の制限が緩くなり、体の自由が出来たのが大きそうだ。移動も車イスで出来る。

さて、料理だが、作る日と、何もしない日を設けることにした。何もしない日のメニューは、「刺身、出来合いのサラダ、冷奴」といった感じである。冷奴の代わりにチョリソーを炒めたりもした。

母が9月6日に退院するまで、作ったメニューで写真に収めたものを並べてみる。

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ほぼ毎日見舞いに行ったが、母は日に日に出来ることが増えて、表情が明るくなっていった。最初は車イスだったのが、歩行器に変わり、やがて杖になった。リハビリには熱心に取り組んでいて、リハビリのプログラムとは別に、自主的に廊下を歩いている。筋トレも自主的に行っているようだった。

そうこうしているうちに、ついに退院の日が決まった。先程も書いたが、9月6日である。その前夜のメインのおかずはこれである。

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こうして3週間の花嫁修行(?)期間が終わり、次の日から再び母が料理をしている。9月8日の日曜日、僕は練習にと思い、一人でカラオケに出掛けようとした。そのことを告げたら、母が「暇だから」と行きたがったので、親子で行くことになった。母は合唱経験者なので、慣れた曲は上手に歌っていた(DAMの採点で86点が最高であった)。僕の点数は秘密である(笑)

母はその後も自主的にリハビリを続けていて、昨日(9月10日)は1時間をかけて起伏のある道を3km歩いたそうだ。

さて、9月13日は夕方に近所でイベントがあり、母も参加するという。夕食の準備の時間帯と少し被るので、僕が料理を作ることにした。メニューは母の退院前夜に作った冷しゃぶの予定である。




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