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同窓会と甲子園と痛恨のミス

およそ3か月前、高校時代の友人からLINEが届きました。なんでも、その年度に40歳になる学年は同窓会を開催する代であると。

日付は8月10日。この日は久しぶりに甲子園球場へ高校野球を観に行くつもりでいました。参ったなあ。まあ、甲子園は翌週に行けばいいか。

さて、魚津市内の会場で行われた高校の同窓会、22年ぶりに会う同級生との歓談はとても楽しかったです。みんな、案外俺のことを覚えてるもんだな。こちら側がよく覚えてない相手を、さも相手を覚えているかのように楽しくしゃべったこともあったけど。



楽しかった同窓会の余韻を残したまま過ごした約一週間後の8月16日の夕方。甲子園に前乗りするため、駅近くの駐車場に車を止め、荷物の最終点検をしていたら悲劇が。


えっ。

8月10日って過去の日付じゃないか。

同窓会の日付が邪魔をしてチケットの手配を間違えた模様。

ああ、8年ぶりの甲子園を楽しみにしてたのに。ショック。

幸いにして、新幹線と宿のキャンセルは間に合ったけれど…。

というわけで、翌日は自宅のテレビで高校野球を観戦していました。複雑な気持ちで…。



昨夜、ふと思い立って母校の同窓会名簿を棚から引っ張り出してきました(よほど同窓会が楽しかったんですね)。開いてみると(開くのはいつ以来だろう?)、在籍された方々の名前が旧制中学時代から載っていることに気づきました。ということはあの伝説のOBも載ってるんじゃなかろうか。


やはり。1958年夏の甲子園準々決勝で徳島商の板東英二投手と投げ合った魚津高校の村椿輝雄投手。自分の名前が名投手と同じ名簿に載ってるって不思議な感じがしますよね。

Wikipediaによれば村椿さんは高校卒業後、三菱重工でプレーしたとのこと。その後も勤務を続け、この名簿によれば平成20年時点でも三菱重工に在籍しているようでした。




この夏の甲子園は大社旋風がすごかったですね(早実との試合は観に行く予定の8月17日でした)。そのほかでも小松大谷など、印象に残るチームがいくつもありました。ベスト4が出そろいましたが、4校に同じくらい優勝の可能性がある気がします。

さあ、来年こそ甲子園にいくぞ!

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