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筑波時代の風間八宏監督①

風間八宏

サッカーが好きな人は、
この人のことは知っているでしょう。

川崎フロンターレと名古屋グランパスで監督として、
チームを魅力ある、強いチームに成長させた人物。

その人が監督として就任したのが、
私が4年生になった筑波大学蹴球部だった。
今回は風間さんと共に戦った1年間を3回に分けて書きたいと思います。

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大学3年時の最終節に奇跡の1部残留を決め、迎えた最終学年。
風間さんが監督になると聞いて、

「えっ!?」

となった。
風間さんが出ていたスポーツ番組をよく見ていた。
その人が監督に。

凄い!と思った。テレビの人だ!と。

そして、私のサッカー人生は劇的に変わった。

夢だったプロサッカー選手になることができたのも、
風間さんとの1年間が凄く影響している。

それでは、本題に。


1年を通してみたら、就任当初と最後では全く違うチームに成長していた。
関東大学サッカーリーグは、前期と後期で分かれている。
前期はあまり勝てず、後期はそれが逆転した。
まずはその当時のデータを見てほしい。

勝敗を見ると、
前期は、4勝6敗1引。
後期は、7勝3敗1引。
前期と後期では全く別のチームになった。

得点と失点を見ても、
前期は、23得点28失点。
後期は、28得点17失点。

トータルで見ると、

22試合あり、51得点45失点。
総得点は、流通経済大学と並びダントツで1位。
でも、
総失点も45失点とダントツで最下位。
被シュート数なんて、2位に150本くらい差をつけて1位。

傍から見ると、何なんだ筑波大学は!
と見られていたと思う。

けど、私たちは負ける気はしなかったし、
何を言おうと、風間さんに指導してもらったサッカーは、
凄くプレーしてて面白い。
ここ!という時にパスがでてきた。ほしい場所にピタッと!
個人が、チームが成長しているのを実感できた!

その結果、私は、

得点王に輝くことができた!
そして、最終節まで争っていたのが、
一緒に2トップを組んでいた西川優大。2人合わせて35得点も取ることができた。これもチーム全員のお陰。
アシスト王も筑波大学の後輩がなり、
攻撃力のあるチームだと一目で分かる。

チームも最終順位は3位という成績で終了した。

ここまでは、筑波大学4年時の成績を見てもらったので、
ここからは風間さんについて書こうと思ったのですが、
長くなったので、次回にしたいと思います。


それでは。

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