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もしも見える世界が変わったら?

もしも世界が変わったら…。
そんなことを思ったことはありませんか?

毎日が何となく過ぎていく。
物足りないな~。
面白いことが何もないな~。

とか。

仕事が辛すぎるー。
理不尽なこと多過ぎない?

とか。

私は何度も思ったことがあります。
もっと違う世界に生まれていたら…。

しかし残念ながら、ある日突然自分の都合の良い世界に変えられるような、そんな魔法が使える訳ありません。

でも最近、私が見ているのは、ほんの一部分で、実は見えていないところにもっと面白い世界が広がっているのかもしれないな~と思うようになりました。

きっとまだ、気づいていないだけ!のはず。

◆人それぞれ見えている世界が違う

そもそも大前提として、人は同じ時間・同じ場所で過ごしていても目に留まるもの、耳に入る音や言葉、感じること等、みんなそれぞれ違います。

私が今見ているこの景色も、あなたには全然違って見えるのかもしれません。

目の前にあるもの自体が変わらなかったとしても、
もし自分の目の前に映る景色が変わるとしたら?

少しワクワクする気がしませんか?

早速ですが、
あなたはこんな体験をしたことありませんか?

同じ道を友達と歩いている時
友達「さっきあった雑貨屋さんまで戻ってもいい?」
私「あ、うん!いいよ~(ん?雑貨屋なんかあったっけ??)」
毎朝通る駅前に新しいパン屋さんが出来た。
「あれ?ここって前は何があったんだっけ??」
家族に聞くとそこには、ずーっと昔から「眼鏡屋さん」があったらしい。

私たちは日々、膨大な情報の中で生きています。
「お店・すれ違う人の服装・風景・人の会話・ニュース・気候etc」
毎日数え切れない程の情報に触れています。

でも、目に映ったもの・聞いたことを全てを覚えている人なんてなかなかいませんよね?
これは、私たちの脳が自動的にフィルターをかけて、自分にとって必要な情報と、そうでは無い情報に選別するという機能を持っているからです。

この機能を使って私たちは、知らない間に色々な情報を自分の中で無意識に処理し、色々な判断をし、日々行動をしています。

私の場合、毎朝通る駅前に「パン屋」が出来た時、
普段からパンをよく買うので、パン屋が自分の目に留まったけれど、同じ場所にずーっと昔からあった「眼鏡屋」の存在は、ただの風景の一部になってしまっていて、全く気づいてもいませんでした

何年も毎日毎日、目の前を通っていたはずなのに。

毎日通っている道を想像してみてください。
例えば、家を出てから駅や会社までの道のりを。
そこにどんなお店や病院などがあるか、全部言えますか?
書き出してみてから翌日、確認しながら同じ道を通ってみてください。
何か新しい発見があるかもしれません。

もっと身近な例で言うと

・ダウンコートがほしいな~と思っていると
やたらと街でダウンを着ている人が目に留まる

・引っ越しでもしようかな~?と思っていると
今までは気づいていなかった空き家の看板や賃貸の広告が目に飛び込んでくる

・多くの人の会話が飛び交うカフェや居酒屋に居ても、目の前の話し相手の声がクリアに聞こえてくる

このような経験なら誰にでもあるのではないかな~と思います。

人は無意識のうちに、無数に溢れる情報の中から、自分に必要な情報や都合の良い情報を自然と探すように出来てるんですね。不思議です。

だから、いつもと同じ道を歩いたり、いつもと同じ事をしていたとしても、自分の状態や、小さなきっかけで少しずつ見え方が変わったり、物事の捉え方が変わるということがあるのかもしれません。

◆見える景色は変わる?

あなたは、苦手だと思っていた物がいつの間にか好きな物に変わっていた。みたいな経験ってしたことありますか??

例えば、目の前にジェットコースターがあるとします。
あなたは、ジェットコースターを目の前にした時、どんな風に感じますか?
そしてどんな行動を取りますか??

・乗りたくてうずうずして列に並んじゃう人
・恐そうだけど気になって乗るか悩む人
・絶対無理!と足が遠のいちゃう人

色んな人がいると思います。

過去の私は、絶対無理!と足が遠のいてしまう人でした。
乗れる人は楽しそうでいいな~と思っていたこともありましたが、いざ目の前に現れると、想像だけで恐くなって足がすくんでしまっていました。

遊園地に行くと誰かが「乗ろうよ」と言い出さないかドキドキし、乗らなくて良いとわかるとどこか安心していました。

しかしある時、ひょんなことから
小さなジェットコースターに乗る事になりました。
今思えば子供向けのミニコースターみたいなものだったと思います。

乗ってみると、意外と恐くなかったんです。
むしろ叫んだりして終わった後はスッキリして楽しかった!と思いました。

それからは、ジェットコースターを見ても「ちょっと恐そうだけど…このくらいならいけるんじゃない?」と感じるようになり、恐る恐る乗ってみると「あ、やっぱり楽しかった!!」と思うようになりました。

そんなことを繰り返すうちに、いつの間にかジェットコースター見ると、ワクワクしてしまって喜んで列に並ぶようになりました。富士急ハイランドのFUJIYAMAに乗った時には「景色綺麗~!」なんて言いながら楽しめるようにまでなりました(笑)

勿論、ある日突然、ジェットコースターがメリーゴーランドのようなメルヘンな乗り物に変わった訳ではありません。

でも私の中でジェットコースターが恐いものから楽しいものへと少しずつ変わっていったんです。

それは、「私から見えるジェットコースター」が少しずつ変わったからだと思います。
以前の私は、ジェットコースターの「恐い」という部分だけしか見えておらず、自然と「恐いものである」という事や「乗らない理由」を無意識に探していたんだと思います。
乗り終えた子が泣いて降りて来るのが目に留まったり、乗っている人の叫び声を聞いて「大人が叫ぶほど恐いものなんだ」と思っていたというような感じです。

でも、実際に乗ってみるようになってからは、「面白い」とか「叫んでスッキリする」「非日常のスリル」「高い所から綺麗な景色が見える」みたいな別の部分が少しずつ見えてきたことによって、それまで見ていた「恐い」という部分がだんだん隠れて見えなくなってしまったように思います。

「叫び声」を聞いても、「わーストレス発散してる~いいな~」と思ったり、乗り終わって出てきた人の「面白かったね~^^」という楽しそうな声が耳に入ってくくるようになりました。

もしあの時乗っていなければ、今も変わらず恐いままだったかもしれないですし、いきなり意気込んで、富士急ハイランドの高飛車みたいなものに乗ってしまっていたら…それこそジェットコースターなんてもう一生乗りたくないと思っていたかも知れません。

でも、乗れたらいいな~とどこかで思っていた自分にとって、最初はミニコースターというハードルが低かった事もあって、少しずつ「これくらいなら乗れそうだな~」と思っていくうちに、知らないうちにいつの間にか乗れるようになって、楽しくなっていた。というような感じです。

「乗らない?」と誰かに言われないかドキドキしていたのが嘘のように、今では「乗ろうよ!」と友達を誘う側になっています(笑)

私の目に映る遊園地の景色はいつの間にかちょっとだけ変わった気がします。

◆最後に

人間って面白い生き物ですね。
自分次第で物事の見方って簡単に変わっちゃうんですね。

今回は、身近な普段の生活の中での物の見え方や、ジェットコースターの話をしましたが、これって色んな事に通じるのではないかな~と思っています。

今は自分が恐いな~と思っていたり、やってみたいけど絶対無理!と思っているような事でも、何かのきっかけで少しずつ見え方が変わってくるかもしれません。

自分が今とは少し違う場所に動くと、違う角度から物事が見えてくるようになります。すると、今思っているほど難しく感じなくなったり、いつの間にか出来る様になっていた!なんてことがあるかもしれませんね。

勿論何にもしないままでは、出来る様にはならないですが…。

太陽の光が届く場所によって昼や夜が変わっていくように、自分が光を当てる場所によって、見えてくる景色が少しずつ変わっていくのかもしれません。

まだ光が当たっていないその場所に、面白い世界が広がっているのかもしれませんね。

自分がまだ見たことのない景色
何だか見たくなってきませんか?


今日はここまでです。では。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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