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これがわたしの生きる道

4月から、オンラインサロンの世界に思い切って飛び込んだ。

#旅と写真と文章と

そしてそこでたくさんのはじめましてがあって、さらにはその縁でWasei Salonさんとの交流会があったりと、たった2ヶ月で新しい出会いが多くて。

やりたいことや、夢中になっていることがはっきりしている人たちはまぶしくて、話にひきこまれるし、刺激的。

じゃあわたしは?というと。

人生で、もしくは仕事をしていく中で、何を成し遂げたい?と聞かれたら、正直よくわからなくていつも困ってしまう。

でも、どういう存在でありたいか、どんな人でありたいか、と聞かれたら、それに対する答えはある。

いつなんどきも希望であろう

これが私のありたい姿。

これを掲げたのは10年前に遡る。新卒1年目、フランクリン・コビーの「7つの習慣」の研修を受けた時に、「ミッションステートメントを決めましょう」というのがあった。あなたは何故何のために生きますか?的な。

その時にふっと心に湧いてきたのが、「いつなんどきも希望であろう」という言葉。湧いてきた、というか、降ってきた、というか。

元を辿れば、当時付き合っていた人の影響だ。ひとまわり以上年上だったその人は、自分にも他人にも厳しい人だったけれど、ある時「困ってる人がいた時に、何もできない自分ではいたくない。それが知識でも経験でも人脈でも、もしかしたらお金でもいい、何でもいいけど、相談された時に何にも差し出せるものがない自分は嫌だ。だから成長したいし、いろんな経験を積みたいし、お金もゆとりを持ってたい」と言っていたのがすごく印象的だった。

その話を聞いたのは私が大学生の頃。そして大いに感化された私は、私もそういう人になりたい!と思って就活をし、そういう人になれそう、と思って今の会社に入り、先述の1年目の研修で具体的な言葉として掲げ、10年が経つ。

困った時、迷った時、相談したい時、もやっとしている時、菜生に聞いたらどうにかなるかも、とか

解決策までは出なくても、とりあえず話せばすっきりできるかも、とか

よくわかんないけどいるだけで安心できる、とか

笑顔見て元気出た、とか

最近だと、写真や文章を通じて、とか

なんでもいい。

でも、だれかにとって、その人が前に進める、もしくは踏みとどまれる、希望でありたい。

迷った時、疲れた時、へこんだ時、嬉しかった時。1年の始まり。いろんなタイミングでこの言葉に立ち戻る。私は今、誰かの希望になれているだろうか、と。

そして、もっとより多くの場面で、より多くの人に、希望たりえるためにはどうしたらいいか、と。

それって結局自己満足でしょ?と言われたら、そうかもしれない。いや、そうだと思う。自覚ある。そのうえ、今のわたしにできることなんて知れてる。それでも、わたしにとって今この世界に生きている価値であり、これが私を前に進ませる原動力。

だから明日も誰かの希望になれるように、一歩一歩前へ。

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