季節の移ろいと八朔と
立春を過ぎ、夕暮れがずいぶん遅くなってきて、季節の移ろいを感じていたら、今年も和歌山の実家から段ボールで八朔(はっさく)が届いた。
ガムテープをはがし、緩衝材がわりの新聞紙をめくると、確かな重みのある、それでいてころんとかわいい、黄色い果実がびっしりと並んでいる。
和歌山だったこともあり、物心ついた時にはもう冬はみかんと八朔が当たり前で、食べても食べても尽きることなく常に籠いっぱいに盛られていた。
みかんを食べすぎると足の裏が黄色くなる、と聞いた時には、そんなアホなと思ったが、毎日飽きることなく大量のみかんを食べていたわたしの足の裏を見てみたら、実際に黄色くなっていた。ひとのからだって不思議。
八朔の季節は、みかんから少し遅れてやってくる。年を越して2月ごろ。子どものころは八朔の酸っぱさと少しだけにじむ苦さが苦手だったけれど、いつのまにかすっかり大好きになっていて、大人になってからも毎年実家から八朔が届くのが待ち遠しい。
そして今年も無事、八朔が届いた。
みかんよりもずいぶんとかたい皮を、がしがしとむいていく。酸っぱい香りが一気に漂う。唾がわいてくる。いつも、あとでまたすぐに食べられるようにたくさんむいてタッパーに入れておこうって思うのに、むいたそばから食べてしまう。不可抗力、どうしようもない。結局いつも皮だけが残って、それを下に敷いていた新聞紙やチラシと一緒にくるくるとまとめて捨てるところまでが、八朔。
今年も八朔が美味しい。
それだけで、しあわせ。
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