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記事を書くためにこの最近ずっと幼少の頃を考えてました。
5歳の頃だったかな?
確か一人称が『ぼくちゃん』だった気が笑
まあいいや

当時の自分の記憶としては、

・トラックに引っかけられて空を飛ぶ
・病的に遠慮がち。何も受け取らない笑
・とにかくすぐ靴先に穴が開く

ってぐらいで。
細かいのは思い出してもキリがないしね。
母親は小料理屋(当時はお茶漬け屋って言ってたかな?)で帰宅は深夜、父親は長距離トラックの運転手でたま~に帰ってくる人って感じでした。

たまにイタズラしてシバかれるぐらいで不自由なく育ったどこにでもいる子供だったと思います。

そういや夜は暗い部屋でひとりで留守番してることも多かったですね。

今も昔も暗闇が全く怖くないのはそれでかも。

いわゆる産業の町でほとんどの奥さんが当たり前にパート勤めしてて昼間っから家にいようもんなら後ろ指さされ・・・おかしな町ですね。

あっちもこっちも共働き、親が忙しいからとにかく子供は近所の空き地に集められてたな~

当時の遊びって今の子とは違って外でしか成り立たなくて。
縄跳び・かくれんぼ・鬼ごっこ・ケンケンパ・・・多いですね笑
あと近所に姉ちゃんが多かったんであやとりとかゴムとび?

思い出した『おちゃらかほい』ってのもやってましたね笑

そんなこんなで仕事のように遊んで暗くなったら家へ帰りを繰り返し、そうこうしてるうちに家族は変化に気づくわけですよ。

靴のつま先に穴が開のが早すぎる。
なんで?って。

そこに関しては自分自身を記憶に残っててどこか申し訳ないというか一緒になって不思議がってるというか・・・

足上げて歩きなさい!と言われてましたがなんで自分だけ?って感じだったんですよね~。ワザとじゃないよって。

そこからは断片的なんですが市内の病院へ、ベタですが紹介状をもって隣町の大病院へ。
時々ハビリへ通い、家では足へギブスをつけて寝る毎日でした。

当時は小児麻痺を疑われたんですよね。

言われるがままギブスつけて言われるがまま遊んで飯食って留守番して。
そんな毎日を曜日関係なく繰り返す。

そんな幼少期前半でした。

負けるな!ぼくちゃん!!

と、幼少期のぼくちゃんにはじめてエールを送ったところでEP.1終わります。

ぼくちゃんは初老になったらこんな活動参加してるんやで

あなたのタイミングで知ってもらえて、
ほんの少しでも友の会が頼りになれれば嬉しいですね。

お世話になってる会長の弓さん、事務局長の石田さん。
Zoomにて福岡の皆さんとお会いできるの楽しみにしてます!!


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