なぜルーマニアはローマニアじゃないのか?とヴラド・ドラクラ
写真はルーマニアの国会議事堂(らしい)。
バルカン半島の地理が苦手で、入り組んでいてなんとなく暗い感じもしてあまり興味を持つことがなかった。
でも今回、ウクライナからの出国ルートをモルドバ→ルーマニアにしようと思っているうちに少しだけ把握できるようになる。
もともとはルーマニアとブルガリアの位置関係すらわかっておらず、モルドバなんてもう「そんな国ある?」という感じだった。(モルドバ国民すまん)
YouTubeでもチェックしていると、そのうち動画も上がってくるようになってなんとなく輪郭がつかめてくる。そんなとき、この話題とは全然関係ないところでウラド・ドラクラというマンガを読んだ。
この舞台がルーマニア。そしてモルドバもモルダヴィアという昔の名前で出てくる。さらに何より「トランシルバニア」という日本人が聞いたことのある名称→ドラキュラのモデル→「ドラクラ」はドラキュラで、ヴラド・ドラクラがモデルになっている。
舞台は神聖ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされた後(神聖ローマ帝国を覚えておいてほしい)。ちょうどルーマニアがオスマントルコに対抗する舞台になっている。
当時このあたりで強かったヨーロッパの国はハンガリー。ハンガリーとトルコの板挟みで苦労する様子が描かれているわけだな。
それよりも少し前の時代、というか上に書いた神聖ローマ帝国とオスマントルコの戦いを書いたのが塩野七生のコンスタンティノープルの陥落。
初版は1991年で当時塩野七生を読み漁った。まだ古代ローマのことを書いていなかった頃。
それで神聖ローマ帝国は東ローマとも呼ばれていて、簡単に言うと西のローマが宗教の中心、東のローマ(コンスタンティノープル→現在のイスタンブール)が政治の中心地ってことになる。が、トルコに滅ぼされたのでヨーロッパ諸国はビックリですよ、という内容。
この小説の、時系列の続きがヴラド・ドラクラ。
で、話を戻そう。
神聖ローマ帝国→【ローマ】でROMA-NIA。ローマ・ニア。ローマニア。スペルもそのまま読みでローマニア。なのに日本ではこれを『ルーマニア』と呼ぶ。😎おかしくない‼️❓
つまり、この投稿はそういう物語…😑