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【無条件に信じない〜自分の頭で死ぬほど考える】錯覚のスピリチュアルvol.4 #004


■自分の頭で考えず、本質追求しない術者

見えない世界があるとかないとかいう話ではない。
当然ある、という前提で話を進める。

問題は理屈の細かいところにある。

エネルギーワークや霊性のスキルを扱う者、スピリチュアルを使うことで人に関わる人が恐ろしいほど無知な状態にある。
外科医が同じであれば怖くて誰も体を任せられないことが、この世界ではまかり通っている。


■前世の記憶は前世なのか?

前世の記憶がある人、または、他人の前世の記憶が映像イメージなりでわかる人は、無条件にコレは前世だと決めつける。
いや、ちょっと待て。

たとえばだが、昔生きそして死んだ人の魂の情報、それも強い念を含む未解決ものや、後世の人に知ってもらわなければいけないことなどが『情報エネルギー』としてあるとする。
この情報は、肉体を持つ人間に伝えることでしか「どうにかする」ことができないとする。

その情報の管理は当人の魂が行なっているのかもしれないし、アーカイブの管理人のような立場の人が行なっているかもしれない。
いずれにしろ彼らは『波長が合いデータを受信できる相手を探す』。たとえば霊感がある人だとか、その情報と相性がいい人だ。

適合者を見つけたら過去死んだ誰かの情報を、現代に生きる波長が合う人に送る。送られた情報は人間である以上脳内の電気信号に変換され、まるで自分が経験した記憶のように脳内で再現される。

つまりその人の前世ではないという可能性は十分に考えられる。


■考えることを放棄した者にスピリチュアルを語る資格はない

合理性も可能性もある考え方を書いた。いや、そうではない。それは前世だと断定できる・・・つまりわかる人もいるだろう。証明はできないけどわかる。
だが実際問題、本当にわかる人の数は少ない。

上に書いたことが本当だ、と言っているのではない。
他にも合理性のあるケースは20以上考えられる。

スピリチュアルに限らず、どのような世界、どのような分野であれ、なぜ確定している理論をはじめから肯定系で受け入れ、二度と疑いを持たないのか甚だ疑問だ。
まるで最初に就職した会社がベストジョブであり、最初に付き合った人が一生を連れ添う人であり、最初に生まれた子供が家を継いで家名を守る、と言っているのと同じだ。

世の中に浸透している理論は、真実だから広がったのではない。
広がりやすく受け入れやすいから広がったのだ。マーケティングやプロモーション、あるいは社会学や社会科学を知っていればすぐにわかる。
真実も確かに広まるが、紛い物も確かに広まる。広まる条件に一致したものが広まる。

「それは前世です」という考え方は確かに広がっているが、真実である保証はどこにもない。

また、「それは前世」であり「それはアーカイブからの送信であり」また別の何かであることが混在している可能性もある。

もし「それはアーカイブからの送信」であるのに、「前世です」なぜなら映像が見えるし肉薄した感覚があるから・・・・と言っているのなら、それは間違っているだけではなく、エネルギーに接触するという重要な役割や方法を誤認して拡散していることになる。
目の前の相手に真実ではない勘違いを、さも真実であるように伝えていることになる。

襟を正すべきだ。
見えない世界であり、理屈が確立されていないからこそ、もっと考え、もっと確認し、もっと正確であろうとしなければならない。
自分がそういう物事を扱っている自覚が必要だ。
外科医が手術をするにあたって、どう治療すればいいか間違いながらメスを立てるようなことをしている自覚を持つべきだ。

一応公平に書くと、同じことは心理学者にも、カウンセラーにも、コンサルタントにも、ボディワーカーにもいえる。


■正しさを追求する

「高次の低能」でも書いたが

われわれはあまりにも無条件にショートカットする。
その方が楽だからだ。

どのような職業についていようが、誰と関わろうが無責任である方が良いということは決してない。
何が【正しい】かは主観になることがあり、答えは複数になることもある。見方を変えれば真逆の答えがどちらも正しいとなることもある。

だが、目の前にぶら下がっている常識や理論が無条件に正しいとは絶対にいえない。それらは基準であり、ものさしにはなるが、実際に誰にとってどのように、何が正しいのかはひとつひとつ照らし合わせなければわからない。

スピリチュアルには、その他の分野と同じようにある一定の法則がある。
法則性は正しさと関係しない。基準でしかない。
法則に則り何が正しいのか?を追求できるのは自分であって、法則を作った先人ではない。

正しいことが何かを考えなければならない。
そして実行する必要がある。
間違えると相手や相手の人生を台無しにする。
繰り返し正しさを追求し、実行しようとしたならするしかない。

何もせず何事も起こらなかった、ということはある。
何も考えずうっかり失敗したということもある。
しかし、
何もせず考えず、うっかり正しいことをしたなどということは絶対にない

雛形と常識を守り正しいことをしたということも絶対にない。
もしあり得るというならそれは洗脳の元に考えた誘導された答えだ。
その夢から覚める必要がある。
信じていることを、楽して信じたいから信じているのでありそれは真実ではないかもいしれないと考える必要がある。
正しさとは何か追求し、検証し、自分なりの答えを見つけ、しかも人に適用していいのかということを慎重に選ぶ必要がある。その上で正しさを実行する。

知る限り、血統因子など生まれながらに霊性があるとか、霊能力を使っている人ほどこれをしない。
校則は正しいというような教師の言い分と同じ考え方をしている。

われわれはそれらルールのために生きているのではない。
命を全うし、魂を向上させ、心を生かすために生きている。
そのためにはどうあるべきか、個々人ごとにひとつひとつ追求することが「正しさ」で、スピリチュアルも霊性もその材料の一部であると自覚し謙虚になるべきだ。かつ真摯に向き合って追求する。
この考えを続けることがスピリチュアルを扱う全ての人に必要なことだ。


【無条件に信じない~自分の頭で死ぬほど考える】錯覚のスピリチュアルvol.4→この記事

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