見出し画像

【「人間」にとってなぜスピリチュアルが必要か】人生基軸と心の「理由」 vol.2 #002


■心無い術者


まずはすごく腕がいいというより、思い込みや信じ込みの力が強かった(ように思う今は)術者がいた。
彼女は東日本大震災の後こう言った。
「不浄なものが流れて良かったと思っている」

このクズはつまり、略すとこういうことが言いたかった。
「大いなる全体の上昇のために綺麗な更地になったことは喜ばしい」と。

ひとつ前の記事でも書いたが、大いなるものを持ち出す人間もそれを支持する高次の存在も、簡単に個々人のことは犠牲にしていいと思っている。
多かれ少なかれ、腕が良かろうが悪かろうが、このような思想を持つ者はいる。

この発想は革命家の発想に似ている。
「革命のために必要な犠牲はつきものだ」
ならお前が先頭を切って犠牲になれ。


■これまで出会った最強の術者


何を以って最強だとか、すごいと定義づけるかは難しいところだ。
今回そのあたりは省くが、個人的に最強と言っていい術者は2人いた。

どちらも色々エピソードがあるが、ひとりは天皇に術を行使する術者に、術の発想を転換させたりショートカットさせたりするアドバイスをするような者。

もうひとりは前世の見切りと法則の体系化を行うことができている者。論理体系が構築されており、前世から何をどのように持ち越し、持ち越さないか、出来事の意味は何で、なぜそう言えるのかの筋を説明できる者。

両者ともに現実世界での運びを重視することや、仕事のしかたが100%以上に向いていること、必ずフィードバックと検証を繰り返すこと、をする。
そして同時に、

どちらも心が薄い。

最初の人は感情が欠落している。次の人は心を機能として扱う。
両者ともそのことに気がついていない。

最高の術理を扱う。疑いようの余地がない。
同時に心が薄味だ。疑いようの余地がない。
わかりにくければ表現を変えよう。彼らは機械のようだ。正確で間違いない仕事をする。技術を扱い誤差を修正する。
大いなるナントカのためには働かないし、人の役にも立っており、活躍もしている。
ただ心が希薄だ。


■自分自身にとってスピリチュアルは何のためにあるのか?


今回の記事は簡単な話だ。
心が綺麗であり、心と心の結びつきを重視し、人と人との間に自分がいて生かされ、人と別の何か(エネルギー系)の間に自分がいて生かされているこの状況を

心からどうしようと捉えることができるかどうか

を中心にする話だ。

精神や、魂や、霊性や、エネルギーというのは人間、いち個人としての自分自身にとって何のためにあるのか?

上の次元のためにあるのか?
高次の奴隷になるためにあるのか?
人類の向上のためにあるのか?
魂のレベルを上げるためにあるのか?
仕事して稼ぐためか?
誰かの役に立てば存在していいと思えるためか?
解明されていないスピリチュアルを解明するためか?

バカを言うな!愚かにもほどがある。

自分の人生をまっとうするためだ。
体は何のためにあるんだ?筋肉を鍛えるためか?長生きするためか?動かすためか?そんなわけがない。
この人生をこの乗り物で有効に運ぶためだ。

社会は何のためにある?俺たちが社会に奉仕するために存在するのか?違う。安心で安全な生命活動を有効に運ぶためだ。
翻って各個々人が自分らしい生き方をするためだ。
でないなら、国の命令により喜んでカミカゼ特攻すればいい。

俺たちの人生は魂のためにあるのではない。魂の向上は結果論でしかない。
人生においては「心を発揮する」ためにある。
次元を上げるだとか、高次の存在が与えるヒントを守るためにあるのではない。

スピの技術を使うため、エネルギーを整えるため、神の手先になるために存在している人はいない。
精神の自由が尊ばれることが多いがこれも間違っている。
精神の自由が重要なのであればハナから肉体を持って生まれてこなくていい。高い次元の精神体として存在していれば十分だ。
楽しむために生まれてきた人はいない。楽しみは人生のスイーツであり、スイーツばかり食べていればいい人などいない。楽しいことだけやっていればいいならそういう種類の妖精に生まれるといい。
転生のシステムも記憶がない以上重視する必要はない。「前世で会ったことがある」など「中学の同級生だった」と同じで何の意味も持たない。カルマがあるというのは、持病がある、根元治療しなければいけない、と何も変わらない。珍しくもなければ、重要なことでもない。

お前は何で人間に生まれてきたんだよ。
人間とは何で、人間のエネルギーの関わりとは何だ?
人間にとって何のためにエネルギーがあり、なぜそれをわざわざ使わないといけないのか、自分の頭で何十年もよく考えるべきだ。


■人間にとっての「心」


動物にも心があるが、人間は意識的に心を働かせることができる。
人は心と心のつながりを求め、それを能動的に行うことができる。
心を綺麗にしようとする総合的な働きかけも行うことができる。天性で心が綺麗な人なのでなければ、我々は努力によって心を綺麗にすることができる。
たとえばストレスのある仕事に就いている自分と、自分の個性が生かされやすい仕事に就いている自分とで、どちらが心がより綺麗だろう。

人のことを思いやり感謝することができる人と、そうでない人のどちらが心が綺麗か。
自己都合ではなく人への貢献から物事を考え、実行する人と、そうでない人は?
人を向いているのではなく、天使や集合意識を向いて人間と接している人は心が綺麗か?相手の人からすると「今目の前にいてあなたを頼り、心の繋がりを作ろうとしているのは私です」なのに、「あ、ちょっとまって今天使と話してるから」としている人が優れた人か?
(クライアントではなく税務署との関係を気にしながら仕事をする税理士は頼りになるか?)

常によく考えてほしい。

高次の存在に心はあるか?ない。そのことをわかっていない者があまりにも多い。
彼らには魂がある。そして真実を軸にしている。
心が何かを言わせているのではなく、真実がそう言わせている。

だから彼らに質問をすると必ず真実の答えを言う。
嘘などもちろんつかない。本当じゃないことも言わない。
低能に当たってしまうと誤魔化すことがあるが、それも真実誤魔化している。
彼らがなぜ約束を必ず守るのか。
真実で存在しているからだ。
心があれば悪い意味で誤魔化したり、控えめに話したりする。あちらからすれば未熟なことこの上ないが、同時に心あるつながりを持てるのは人間(動物)だけだ。
心が人間にとって魂に紐づいたアドバンテージであり、同時に弱点でもある。
彼らはなぜ契約を必ず守るのか。真実そうできているからだ。人が契約を簡単に破るのは心の作用による。約束を守ることより、メリットデメリット、気分、不安、人の甘言などに翻弄されるからだ。
これは心の醜いところだが、だからこそ人間は人間にだけ心を綺麗にする努力なり、向上することができる。
心がわからない連中(エネルギー体や最高の術者)にこのことは理解できない。


■個人にとって重要なことは「人生」にある


心とは別に「人生を起点にする」ことがある。
どの個人にとってもこの個体による経験は今生しかない。そして人生に同じものはひとつとしてない。

人生の期間をどのようなものにするかを考えられ、感じられるのは人間しかいない。他の動物にはできない。
この人生ではこの人生を生きている。当たり前だ。次の人生を生きていないし、前の人生をやり直さない。

前回の課題が済んでいないからこの人生でもまた同じことを繰り返している、という人がいる。
心底うんざりする。
前回の就職の失敗を反省していないから、また次の仕事でも同じことを繰り返している。夏休みの宿題が済んでいないから二学期に入っても宿題が残っている、というのと同じだ。
それの何がいけない?

もし死ぬまで同じパターンを続け、あまり良くない人生を作り上げてしまったと思えるなら「変えておけば良かった」となる。
人生以外にこのことをダメだとする理由がない。

感情?嫌な思いをして人に迷惑をかけ、友達がいなくなり、お金に困るからか?
なら良い感情があり、人に迷惑をかけず、友達が増え、お金がどんどん稼げるなら「同じことを繰り返してもいい」のか?
このロジックがわからない連中が、良い感情、友人、お金に恵まれて「不足を感じる人生」になっている。目に余るほど多くいる。

もう一度言うが、繰り返すことのダメな理由はこの人生でしか表せない。
次の人生でも繰り返すというなら、その人生を自覚できる次の自分がどのように捉えるか、でしか表せない。しかも次繰り返すと本当にダメだとも言えない。
次繰り返すことが、今取り組むことの理由にならない。

もう一度同じことを書く。
なぜなら我々は「人間」だからだ。

いち人間として過ごすこの人生を良くすることだけが、われわれに共通している。
万が一前世2回分の記憶が残るようになったら、3回分の人生によって判断するだろう。それでも次の人生によって判断したり、そのために何かをすることはない、人間は。

では人間に共通する時間軸としての人生をどう良いものにするのか?
心によって行う。これも人間に共通している。心を中心にする。
あるいは心を含む人間としての「存在そのもの」を中心にする。
エネルギーにしろ精神体にしろ、そういうのは心ある人間の人生の付属でしかない。重要であろうが下等であろうが付属は付属であり、本質的にそれ以上にはならない。

あちらはあちらの都合がある。
だから人間の都合によってあちらがこうあるべきだとか強制しない。当たり前だ。あちらもこちらを正しく理解して振る舞うべきだ。

あちらの存在の中で人間と親和性が高く、人間の在り方をサポートする力がる者だけ(波長が合う一部の存在だけ)、我々は人生と心のために力を借りる。

この当たり前を、当たり前にできる者だけがエネルギーワークを行う術者になってほしい。


【「人間」にとってなぜスピリチュアルが必要か】人生基軸と心の「理由」 vol.2→この記事


フォローやシェアをしていただけると嬉しいです。 よかったら下記ボタンからサポートもお願いします。 いただいたサポートは大切に松原靖樹の《心の栄養》に使わせていただきます!