【健康で文化的な最高の土曜日:前編】 民話を聴きに行った話

2019年12月21日。私は人生史上最高に文化的な1日を過ごしていた。


この日初めに訪れたのは、仙台メディアテークにて開かれた「ゆうわ座」である。民話の会なのだが、ただの読み聞かせではない。宮城県に伝わる民話を、方言で語っていただくのである。そこで研究室の先輩が語り部をするというので、興味を持って行ってみた。で、どハマりして帰ってきたわけだ。


「ゆうわ座」はみやぎ民話の会「民話 声の図書室」プロジェクトチームが主催するイベントで、宮城県を中心に記録されてきた民話の資料を、誰もが活かせる共有財産として未来へ受け渡していくという取り組みである。民話語りや映像資料などを通して、参加者が自由な感想・意見を出してともに考えるというコンセプトだ。「話に遊び 輪を結び 座に集う」で「ゆうわ座」。毎年1回の開催で、今回で7回目を数える。回ごとにテーマが設定されていて、今回は「民話の中の子どもたち~その誕生をめぐって~」であった。下記URLから、過去の記録を見ることができる。

考えるテーブル|民話ゆうわ座

「ゆうわ座」に参加するのは初めてだったが、そもそもこの手のイベントに行くこと自体ほぼ初めてに近かった。いや…本当に恥ずかしい話、恵まれた環境にありながらもったいない生き方をしてきたもんだと反省したところである。

会場についてみると、既にたくさんの人が集まっていた。それこそ仙台メディアテークのイベントスペースが一杯になるほどの人数である。


この日最初の民話は「田螺の息子」というお話。田螺。「たにし」である。

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あるところに老夫婦がいた。彼らには子供がなかったが、氏神様に一心にお願いしたところ思いが通じ、子を授かった。しかし、それは人間の赤ちゃんではなく、小さな田螺であった。老夫婦は氏神様に授かった大切な我が子であるこの田螺を、大事に育てた。

それから幾年もの月日が流れたが、田螺はやはり田螺であった。物も言わなければ、仕事を手伝うこともできない。というか、大きくならない。

「切ないことだ。氏神様の申し子を授かったというものの、二十年経っても田螺は田螺。口もきけない田螺だ。一度でいいから、父(とと)、母(かか)と言ってくれ。」

年老いた父親は、村の長者に納める年貢を馬の背に括り付けながら、こうこぼしたのであった。
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…ネタバレになってしまうのでここまで。息子が田螺。シュールな光景である。後から調べてみたところ、この話にはいくつかバリエーションがあるらしい。田螺ではなく蛙だったり、田螺の殻に入った無口で小さい人間だったりするんだそうな。よく似た話が全国的に分布しており、タイトルも少しずつ異なる。こういうディテールの違いに目を向けてみるのも、民話の楽しみの1つかもしれない。


次は「一寸坊主」。これは「いっすんぼうし」ではなく、「いっすんぼうず」である。この話の元の語り部さんは、この点を何度も強調していたそうだ。おおまかな話の筋は世にいう「いっすんぼうし」と似ているが、あくまで「いっすんぼうず」である。

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あるところに、子の無い老夫婦が住んでいた。二人は子どもが欲しい、子どもが欲しいと一心に神様にお願いした。すると、願いが通じて、神様のお社の中にかわいい赤ん坊を見つけた。神様から授かった子だと大変喜んで家に連れて帰り、うんと食べさせて育てた。
しかし、この赤子はいくら食べさせても、さっぱり大きくならない。あまりに小さいので、「一寸坊主」と名付けた。いつまで経っても小さいままの一寸坊主に向かって、お爺さんはある日こう言った。

「一寸坊主、一寸坊主。お前は何を食べさせても、さっぱり成長しないから、暇をやるから、欲しいものをやるから、出て行け。」
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…はい、これもネタバレになってしまうのでここまで。こういうのをね、方言で語ってくれるのよ。

ここまで聴いたところで脳味噌がスパーク。


これが民話ってものなのか。


なに


なんだこれは


みんわってすごい


なんかもう、この感覚は言葉にできない。



これが民話かあ…

これまでの人生の中で、民話に親しむという経験はほとんど無かった。今思えば本当に短絡的な先入観なのだが、「民話」というと『日本昔ばなし』のイメージをもっていた。

テレビや教科書で見る話は脚色されているんだろうなと、思ってはいた。だが、実物を経験すると本当に違うもので、私が今まで見聞きしてきたのは民話の本来の姿ではなかったのだと知った。私が知っていた「一寸法師」と、「一寸坊主」は別物であった。

まず、あんなにコミカルではない。なんというか、淡々としているのだ。派手に声色を変えるわけでもなく、あくまで自然な抑揚の中で話が進んでいく。「物語」然としたいかにもな語り方ではなく、「あのね、こんなことがあったの」と話しかけられているような感覚。ストーリーの流れを整え、アニメーションやSEで味付けをして、テレビという文明の利器の力を借りて万人に伝える『日本昔ばなし』。これを「非日常」の語りだと考えるならば、家庭や地域の中という小規模な共同体の中で連綿と続いてきた民話語りは、「日常」の語りと言えるだろう。

頭の中にある話を引っ張り出してくるのは大変なことだろう。噛むこともある。言葉がすぐに出てこないこともある。この日語ってくれた方々は、それでも整えてらっしゃる方だ。家の中で子や孫に向け語るだけならそんなに練習なんかしないだろうし、家事などしながら片手間にやるだろうし、内容がトんじゃって時系列がめちゃめちゃ、なんてこともあるはずだ。だが、ある意味 "整ってない" それは、不思議と体に馴染むのである。これが民話ってものなのか。なんて人間くさいんだろう。

言葉もそう。方言というと「聴き取れない」「変わったことばがたくさん出てくる」「何を言っているか分からない」「いかにも『昔』って感じ」…といった印象があるかもしれない。私は北海道方言で育ったため、宮城の方言はよく分からない。それでも、本当に不思議なことだけれど、すんなりと聴いてしまうのだ。「あ~、懐かしい。沁み渡る…」という大げさなものではなくて。んー…なんとも言葉になりにくい感覚だ。「方言だ」という意識無く、というか、言葉が違うなんてことにはあんまり意識が向かなくて、話に入り込んでしまうというか…でも、音の響きは心地良い。まるで、ずっと昔から慣れ親しんできたみたいに。



親と子ども

さて、この日語られた民話には共通テーマがあった。「子どもの誕生」だ。上に挙げた2篇の他にも、子どもの誕生を巡るお話をいくつか紹介して頂いた。「へびの四蔵」「うそ吹ぎ太郎」「鬼打木の由来」「瓜こ姫こ」…。民話の中の子どもたち。彼らの物語を聴いているうちに、なんだかふと、こんなことに思い至ったのである。


ごくたまに、Twitterを見る。そうすると「話題のツイート」だの、誰かのリツイート/いいねだの、色々な情報が目に飛び込んでくる。その中に時折見かけるのが、子育て関連のツイートだ。

「子育てがしんどい。なかなか自分の時間が取れない。」
「仕事と育児の両立は厳しい。体力的に辛くて、家事までこなすのは難しい…」
「発達障害の我が子。なかなか周囲から理解されない。」
「誰にも子育ての相談ができない。ずっと憧れてきた子育てが、こんなに辛いなんて。」

で、こういうツイートが流行るとほぼ100%の確率で次のような返信が付く。もっと酷いのも、珍しくない。

「自分で望んで産んだのに文句言うな」
「親としての意識が足りない」
「甘えるな」
「子育てが辛いなんて、子どもが可哀そう」

私には経験が無いので如何とも言い難いが、子どもを育てるというのは大変なことだと思う。当たり前だが、人間は人間からしか生まれない。子どもは人間で、親も人間。自分も人間なのに人間育てるとか無理ゲーだ。パーフェクトにできる訳が無い。


この日初めて民話というものにきちんと触れ、先述の通り「淡々としてるな」という印象をもった。ここでもう1度立ち返りたいのだが、この「淡々と語る」というのは結構すごいと思うのである。

何年間も田螺を大事に育てたこと。全く大きくならない一寸ほどの子どもを育てたこと。これらは民話の中で、特に褒められもしない。そして、物言わず仕事もできない田螺に不満がこぼれたことや、いくら食べさせても大きくならない子どもを家から追い出したことは、特に責められもしない。

これがSNS時代だったならさ、きっと「田螺を20年も育ててるなんてすごいです!氏神様もきっと喜んでますね*:.。☆..。.(´∀`人)。*°.:。+゚」とか、「田螺なんだから喋れないのは当たり前。高望みワロタww」とか、「FF外から失礼します。いくら小さいからって追い出すのはどうかと思います。きちんと最後まで世話しましょう。」とか「そもそも成長しない子どももらってもどうしようもなくない?この老夫婦もある意味被害者。責めてる人は視野狭すぎ。。。」とか…もう、バズりまくってリプライの嵐でしょ。(柄にもない文体を使ったせいか、さっきからちょっとだけ具合が悪い。)

「淡々と語る」ことは、話の内容を「美談」にも「教訓」にもしない。テレビや絵本で今まで接してきたのとは決定的に違っていた。嬉しいことも、悲しいことも、ほのぼのすることも、残酷なことも、全てをただ淡々と語っていく。

良い話だなあとか、悲しい話だなあとかでは終わらせない。淡々と語るからこそ、その人だけの感情が生まれるのだ。力んでないのに考えさせるんだ。

望んで望んで、それでも駄目で神頼みで、やっとのこと授かった子だもの。そりゃ可愛がるだろう。それでも、何年経っても物言わぬ田螺。いくら人と言っても一寸は流石に小さすぎる。嫌になって当たり前だと思った。「親であること」にかかわる全てを、プラスの感情だけで過ごす親なんていないと思うのである。「子であること」についても然り。

良いんだ、別にそれで。我が子に不満を持ったって、親を疎ましく思ったって、他人の子を羨んだって、それは当たり前のことだ。親と子は、ずっとそんな風にやってきたのだ。

「それで良い」なんて言い方をしたが、これも違う気がする。良いとか悪いとかじゃなくて、ただ、「そう」なのだ。もっと言えば、「そう」ってだけだから、後は自由だ。受け取り方は何だって良い。「良い」でも「悪い」でも、「幸せ」でも「不幸せ」でも、「どっちでもない」でも。受け取り方は自由と言ったが、「受け取る」かどうかさえもこっちの裁量だ。「このお話にはこんな教訓が…」なんて道徳の教科書みたいな気取り方はしない。民話は、私たちの傍らにただ「ある」のだ。その、なんと懐の広いことか。


人の子を産むのは人。つまり、子どもの誕生というのは人と人の出会いだ。当然、弱音や不満、戸惑い、後悔が無い訳もなく。出会っていつか別れるまで、私たちは無数の感情を辿っていくのだろう。



「遊」「輪」「座」ってこういうことね…

ここまで色々と書いたけれど、こうして人に伝えられる言葉になるまでにはこんなにも時間がかかってしまった。私はあまり血の巡りが良い方ではなくて、思ったことが言葉にできるまで人より長くかかるタイプだ(もちろん、怠慢もあるのだけれど)。

こんなに遅くなっておいて何だが、正直言って、全く書ききれた気がしない。形容する言葉が見つからなくて「書けなかった」こともあるし、「書かなかった」こともあるし、2カ月間ずるずると文字を溜め込み続けているうちに頭から抜けてしまったこともあると思う。メディアテークのあのオレンジ色の椅子に座っている間、それほど多くのことを感じて、考えた。

もし仮に、同じ民話を動画で見るだけとか、本で読むだけとか、それならどうだっただろう。それを、家でたった1人でやったら?果たしてここまでのことを、感じ取ることはできただろうか。

答えは「否」だ。言うまでも無いけど。あの場に参加していなかったら他の人の意見に触れることはなかっただろうし、隣に座っている人が時折舟を漕いでいたことも知らないままだ。

意見交換の時間は老若男女問わず色々な考えが飛び出してきてエキサイティングだった。民話から何かを「受け取る」という話をしたが、会場にいた1人1人が違う何かを受け取ったり、受け取らなかったりしたんだと思う。懐かしさとか安らぎとか…眠気とか。

「田螺のまま幸せになるというのはできなかったのか」。私と同年代くらいの男性の意見だ。うーーん、その発想は無かった。確かに。言われてみれば、「働き者で気立ての良い娘と美丈夫のハッピーエンドね…よくあるやつ…」という気もしないでもない。淡々と語る中にもどこか夢見がちなエピローグを求めてしまうのは、人間の性なのかもしれない。子育ての最中にあるという女性の発言は、言いたいことを言ってくれたような気もするし、やっぱり細かいところは違うような気もする。

自分なりに色々考えて書いてみたけど、これらの意見に接する機会がなければ、言葉にする術が無かったかもしれない。なるほどなぁと思ったこと、よく分からないと感じたこと、筆が進まずもどかしかった時間も、あの日あの場にいたからこそ手に入ったんだろう。

はー…学都仙台に生きることの素晴らしさをようやく実感したような。「書を捨てよ町へ出よう」ってのはこういうことなのかねぇ。


後日その先輩から民話について色々教わったのだけど、本当に面白いと思う。台湾の少数民族の民話の本を紹介してもらったので読んでみたのね。そしたら、沖縄にもすごく似たお話があるんだってさ。学んだことが思わぬところで繋がったりすると、快感だよね。


【健康で文化的な最高の土曜日:後編】のため、この日のゆうわ座には残念ながら最後までいられなかった。次こそは、ゆっくりと参加できると良いなあ。


最後となったが、魅力溢れる宮城県のことばと民話を脈々と受け継いでこられた方々、ゆうわ座のスタッフの皆様への感謝をここに記し置きたい。



えんつこもんつこ さげだとさ。

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