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プロ意識について
自分に対しての、頭の整理のような意味合いも込めて書いている。
プロ意識とは何だろう?
責任感、勤勉さ、熱意、誠実さ
などなど思い付くところはいくつかある。
プロとアマの違いは、商談やプレゼン、試合や減量、我々で言うと法要などの決まった期日に向けて
仕上げなくてはならない
というのが大きい。
その為に日常においてあらゆる意味での思考と管理(とくにアスリート)と学習が求められる。
私の場合
プロ格闘家として
プロの僧侶として
これからプロの鍼灸師をめざす立場として
の3つがプロ意識を必要とする所だ。
格闘家としては忙しかろうが計画的に練習を続け、体調と体重の管理が要求される。
格闘技で家族を養えるような選手では現状ないので仕事は仕事で頑張らなくてはならず、夜の練習が辛い時もあるが、これはひとえに好きだから出来ているし苦ではない。
忙しかろうが何とかして練習に行きたいし、逆に練習に行かなくては全てのペースとバランスが崩れてしまうと感じている。
鍼灸の方はあと数ヶ月で学校を卒業。免許を取ってからがプロデビューではあるが〝治せる鍼灸師〟にならなくては意味がないと考えるので、師匠に着いて研鑽を積む。
これがまた一つの生き甲斐にもなりつつある。
息子が風邪を拗らせて入院した。医師である妻が仕事を休み2、3日は付き添っている。科は違えど24時間体制で医者が付き添っていると考えると心強い。
一方で
プロの僧侶
なんて言った物の、こんな時に自分には祈る事しか出来ない。
逆に言うと祈る事が出来るとも捉えられるが、結局の所やっぱり祈る事しか出来ないから、祈るしか無いのだ。やるせ無さすら感じる。
仏前においてお経をあげる。これが私に出来る事。
ふと自分自身の幼少時代の話を思い出した。
私が小さい頃に『アレルギー性紫斑病』という病気になり、僧侶である祖父が本堂に籠って読経をした。
様々な不思議(これを霊験奇跡というか)がおこり、私は完治した。
私に祖父のような力があるかはわからないが、出来る事は祈る事しかない。
こんな時でも仕事は続きニコニコとしていなくてはならないし、いつもと変わらない物を提供し続けなくてはならない。
家族が病気で大変であっても、家族を支えているのもまたこの仕事だからだ。
世の中の皆きっとそんな物で、色々抱えながら生きているのだろう。
そう考えると少々腹の虫の居所が悪い時くらい、お互いに許容してやらなくてはならない。
そして忘れてはならないのが、家庭でもプロでなくてはならないと言う事だ。
プロの父親
プロの夫
を目指して
プロ意識を持ってバランスを取っていきたい(笑)
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