宝くじで大金を入れたら、幸せなのか?
人間が感じる運・不運というものは、主観的なものであり、かつ相対的なもの。
賞金何億円という宝くじに当たって、その瞬間は本当に良かったと大喜びしていても、それがきっかけで親戚と仲違いしたり、家族が崩壊してしまったということだってよくある話で、必ずしも一攫千金が幸せに結び付くとは限らない。
事実、宝くじの当選者というのは、長期的に見ると、幸福度は上がらない。
アメリカなどでは、何十億というとてつもない単位のお金が賞金として転がり込んでくる。
そうなると、それまで楽しく仕事をしていた人も、自分の給料の安さにバカバカしくなって、働く気が失せて辞めてしまう。
つまり、労働の喜びを失う。
苦労しないで大金を入れると、それまでに感じていた日常の小さな幸せも感じられなくなってしまう。
例えば、父親の給料日は、家族揃って近所の回転寿司に行くのが最大の楽しみだった一家に、6億円の宝くじに当たったらどうなるか?
おそらく、彼らはもう回転寿司には行かず、高級店に行くだろう。
高級店の1個4000円のマグロの握りが回転寿司の2個200円のものより40倍美味しいかというと、実はそこまでの差はない。
下手をすると、月に一度、家族でワイワイしながら回転寿司屋に行っていた頃の方が、気取った高級店で食べているより楽しかったりする。
そこに大金を巡って諍いが起きて、家族が崩壊してしまったら、チャラどころかマイナスになってしまう。
これでは、最初から何も起こらなかった方が良かったということになり、運が良かったのか悪かったのかよく分からない。
それは言葉を換えれば、運に日々に生活をコントロールされているとことになる。
小説などでは、よく運命に翻弄されると言われるが、運にコントロールされるのではなく、運をコントロールすることを心掛ける。
それこそが運を作るという言葉の本当の意味なのである。
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