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シャガール『空飛ぶ魚』


シャガール『空飛ぶ魚』

背景
マルク・シャガール(1887-1985)はベラルーシ(東にロシア、西にポーランド、北にバルト三国、南にウクライナがある世界最北の内陸国)に生まれた。19歳のときにサンクトペテルブルクの美術学校に入学し、23歳のときにはパリヘ行き画家や詩人と交流しフォービスムやキュビズム、シュプレマティスム、シュールレアリスムを学んだ。28歳のときに宝石商の娘ベラと結婚したが、この前年から第一次世界大戦が始まったこともあり、生活苦のためベラルーシの美術学校で教鞭を取ることもあった。

また彼は「色彩の魔術師」「愛の画家」と呼ばれ、親交のあったピカソからは「マティス亡きあと、シャガールのみが色が何であるかを理解している最後の絵描きだった。シャガールにあった光の感覚はルノワール以来誰も持っていなかった。」と言わせるほど実力のある人物であった。

鑑賞
ある男女が結婚する情景を描いている、とパッと見て思う。二人は花壺に生けられた花の中に佇んでおり、その姿を、鶏と、バイオリンを持った奏者が見つめている。しかし…どうやら主題は左上の方にいるバケモノのようである。魚はそのアームレスラーのような腕で、左手は添えるだけと言わんばかりに燭台を持っている。そしてさらに視線を左下へ移せば、すってんころりと家がひっくり返って転んでいるのが見える。そんな景色のようだが、いったい何を描いているのだろうか。

シャガールの画風から連想されるように、これも「夢の中」を描いていそうだと思う。一般に夢の中では、魚は豊かさ、家は生活の基盤、花壺は恋愛や家庭のシンボルと考えられている。なお鶏(とくに雄鶏)は、フランスの国鳥として教会の装飾に使われており、宗教的なシンボルの意味を持つ。

このようにそれぞれのモチーフを夢の中のシンボルとして考えれば「花壺に浮かぶ2人が新しい家庭を築いたことは、バイオリンの演奏やそれを見守る雄鶏によって教会で盛大に祝われたが、彼らの生活は程なくして崩壊してしまった。」ということを想像できる。

生活の崩壊は、「逆さまの家」から読み取れることであるが、具体的にどう崩壊したのかを理解するヒントが空を飛ぶ魚の持つ燭台にあると思う。燭台はどの宗教でも葬式に必要な道具として使われるが、特にフランスの場合はカトリックに準じたものとなり、舟形の棺の上に燭台を置くのが習わしである。

つまり、2人の生活は死によって崩壊した。しかし、魚がもつのは1つの燭台だけである。あまり細かいカトリック式葬儀のマナーは分からないが、仮に2人ともが死んでしまったのだとすれば、「空飛ぶ魚」という主題にしたのは、「結婚して間もなく亡くなってしまった2人が空の上で豊かでいられるように」という祈りを込めたかったからかもしれない。

フランスには「セ・ラ・ヴィ(それが人生さ)」という考え方が根底にあるため葬儀も明るいムードで行われることが多いそう。しかしこの作品から感じる寂しさを思うに、(単なる想像だが)シャガール自身が(「それが人生さ」と言うにはあまりに悲劇的な出来事として)身近な人間の幸福があっさりと崩れてしまう無常感を経験したことがあったのだろう。


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