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日本で生きるということは、既得権益側に入るための戦い

日本で生きるということは基本的に既得権益側に入れるかどうかの戦いである。

既得権益とは何か。有り体に言うと最初努力してある立場を手に入れ、後はそれを守ることで成り立つ仕組みである。例えば会社に入って出世して権限を手に入れたら、結果を出さなくても立場が守れるよう立ち回るとか。経営者なら大企業から仕事をもらって、中抜きして下請けに回す仕事を続けるとか。気がつくと多くがそのように回っている。

戦後に経済がどん底で人口ピラミッドも極端に若者に偏っていた頃は、生産力の上昇と共にうまい具合に富も配分できていたのだが、今は既得権益側の順番待ちがつっかえてしまって、新陳代謝に支障をきたすようになってしまった。これは何も新しい現象ではなく私が90年代に社会に出た時には分かりきっていた未来であった。

既得権益側に入る戦いは、敗れてしまうと一生ハムスターのように走り続けなければいけないことを暗示している。若者がこれから死ぬまで走り続けないといけないと思ったら、やる気を失うのもわからないでもない。また転職や起業などで一度既得権益から離れてしまうと、元に戻れるかわからないのでチャレンジするのも躊躇するようになる。それで挑戦する者をバカにしたり足を引っ張ったりする。世の中の閉塞感というのはそういった背景から生まれているだろう。

日本がこのような文化に至った理由は、長年農業で生活を営んできたからと個人的には考えている。農作業というのは1人のヒーローでどうにかなることはなく、多くの人が決められた作業をきちんとこなすことで最大の成果が得られる性質のものである。人々がルールに従って役割をこなせば、後できちんと分け前が回ってくる。抜け駆けは許されない。基本的にこのスタイルが日本人にとって心地よいシステムなのだ。

しかし日本を出て外国に出てくると状況はガラリと変わる。自分の意思で他国に働きに出てくる人間の立場は弱い。自分が持っている資源ソースを全力で使わないと生活することもままならないのだ。そもそも他国に住むにはビザが必要で、ビザを取るには仕事して税金を納めることが世界の基本的なルールである。まず右も左もわからない自分に、何であれ仕事を提供してくれる相手を探さないといけない。

と言っても現在外国に住んでいる日本人の多くは、会社が派遣した駐在員かその家族である。会社の命令で赴任し、会社の命令で帰って来る立場の人である。その場合外国に住むと言っても会社の傘の下で過ごしているために、本当の意味でのサバイバルが待っている訳ではない。そして後に現地に住み着いた日本人もまあまあ存在している。

手段はどうであれ、ひとたび日本を出てしまったら既得権益とは無縁である。中には現地に日本人村を形成して既得権益を生み出そうとする輩もいるが長続きしない。全員悪人ならぬ全員挑戦者状態となる。日本で既得権益を批判し、自分の力を公正に評価されるべきと叫んできた若者は、ここでガツーンと頭を殴られることとなる。実際私も日本を出てしばらくは暗黒期を送っていた。その現実を見て日本に帰ってしまう若者も多い。

しかし考え方を逆転させれば、これこそチャンスの宝庫である。まだ日本人がほとんどいないような国に乗り込めば、先駆者となれる可能性がある。また既に日本人がたくさん住んでいる国であっても、駐在員は数年で帰ってしまうのでオンリーワンになれる可能性は多々ある。

日本を脱出して初めて、自分がいかに守られていたかを知ることになる。それは人生を変える大きなチャンスなのだ。

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