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大阪中之島美術館の感想


ここしばらく、佐伯祐三の郵便配達おじさんの分身が市中の広告枠に出没していたが、その本体を見に行く。
実物を見ると、おじさんの股下の黒い絵の具の滴りが気になる。なんでこれ上塗りして消さなかったのか。ふつう、絵の中の世界/それを見るこちら側は分かれているとして、その約束のもとに絵を見ることになる。が、この黒い滴りはその境目を曖昧にしてしまう気がする。「私は絵だ」と言うことを、絵が自から暴露してしまうような不穏さを感じた。作家の晩年の危うさと重ねて見ていた(それは森村泰昌作品の、どこからか分からないところから出てくるあの腕と同じような機能に思える、例えば《美術史の娘(劇場B)》)。

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吉原治良作品をまとめて見られたのも、良い機会だった。個々では見たことある作品が多かったけれど、こうやって時系列で見ていくと、吉原オリジナルのあの円に至るまで色んなスタイルを模索してたことが分かる。切実さが痛い。かつて藤田嗣治にオリジナリティがないと言われて、自分は行けなかったパリ帰りの岡本太郎がブイブイ言わしてるのを横目に腐りながら、具体のメンバー達への劣等感なんかも、もしかしてあったんじゃないかと想像する。「君らには教えすぎた」「わしの絵は誰が見てくれるんや…」。(註1)
それを思って改めてあの円のシリーズを見ると、なにかとても愛おしくなってくる。

近所に美術館ができて嬉しいです。
具体展が、とても楽しみ。

【註1.】
兵庫県立美術館企画、平井章一編『「具体」ってなんだ?結成50周年の前衛美術グループ18年の記録』美術出版社、2004年、p.21

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