認知の歪みが分かっても、起きたことは消えない


すごくネガティヴな週末を過ごしました。

それでああ、そうだ。今の私の認知の歪みを調べようと思って、こちらのサイトを利用しました。

https://www.cognitive-test.site

トップ3は

過度な問題回避
将来の否定的な予測
答えのない自問自答

他、強い認知の歪みは7個。
率直にとても多い。

けど、まあ常日頃考えていることだから
正直あまり気にしないようにしている。
だって考えているだけだし。
寝て起きれば1日は始まるし、
自分が思い詰めない限り生死に関わらない。


認知の歪みを思い出したのは、自分にとって苦手なタイプの人に会ったから。

子供の頃、私の家庭環境は気がついたら土日は体裁のために一緒に過ごすだけの機能不全状態だった。

嫁姑問題もかなり過激なもので、祖母と関わりがある人たちは母と私を嫌っている風に対応されていた。

田舎だから至る所でその噂は広まって、高齢者コミュニティと関わりがある人たちは「あの⚪︎⚪︎さんね、関わらないようにしよう」という風になっていた。


そんな腫れ物扱いの中、遠縁の方の家に連れて行かれた。そこには祖母と友好関係を築いていた、記憶にない頃に会ったことのあるおじさんがいた。

父に従ってご挨拶しようと近付いたところ、酔っ払っておりとても普通でないご挨拶をいただいた。

恐らく、ギャン泣きしていた時に初対面を果たしていたようで
「母親に似やがって〜(母親の悪口)」
「抱っこしてやろう」
と言われて、私的には面識のないおじさんに触られたくなくて拒否してしまった。
そこで機嫌を損ねた。

「あの時みたいに、ギャーギャーうるさくしたら、(家畜用の)バリカンで丸坊主にしてやるからな!」

と、家畜用のバリカンを持ってきながら言われて本当に怖かった。その間、父に庇われることもありませんでした。

怖すぎて、母に何があったか伝え、早く帰りたいと懇願したのです。


多分この体験から、そのおじさんと同じような年齢の方に対して良い印象を持てなくなりました。いまだに第一印象で「あっ、嫌だな。近づきたくない。話したくもない。」と思ってしまうくらいのトラウマになっています。

これも一種の認知の歪みかな?と思うのですが、起きたことは変わりない。
そもそも、知らないおじさんに抱き上げられそうになったことが怖かったのか、本当にバリカンのスイッチを入れながら脅されたことが怖かったのか。どちらもだったのか。今ではもうわからない。

仕事で関わる間柄の対象年齢のおじさんがいた場合は、たぶん無意識だったと思うが最初はやっぱり距離をとっていたが、毎日会う中で危害を加えられないことを繰り返し理解していっていたのだと思う。

社会生活を送るにあたって不便さないとは言い切れないが、今更克服した所で…と思ってしまう。


もし私がその年齢まで生きてしまっていたら、周りもそういう年齢な訳で辛く感じるんだろうか。

克服とかでなく、この記憶ごと消えてくれないかな。

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