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人間における愛とは何なのか

愛とは何なのか、何故多くの人が愛について語り、求めるのか。
なぜ真実の愛というものが他人との間に成立しにくいのか考えてみた。

結論から言うと、以下の考えに至った。
長い期間の子育てを必要とする人間が、
生物としての課題である子孫繁栄していくために、
親から子に愛を持つのは人間として必須な機能であり、それだけがいわゆる無償の愛なのではないか。
それ以外の愛はジェネリック的なものではないか。

そして子もまた、親からの愛を生物として受けるべき必須事項としているから、それぞれの子が持っている、本来は親の愛で満たされるべき器が正常な親の愛でどれくらい満たされるかで、親以外にどれだけ代替の愛を求めるかが決まるのではないか。

親から貰える愛の量が少ない人は、
親から愛を受けるために、自分を隠して良い子になろうとしたり、親の顔を伺って過ごすなど、考えて努力することが多くなる。その分辛くなる。
また、貰えなかった分を代替として他人に求めるが、本来欲しかった愛でないから、うまく受け取って消化できない。

親から愛を貰えなかった人が、愛について考え、
悩むことは、人間として正常である証であり、
当たり前のことであると思う。
そして、どうしたって埋められない空白を背負って生きていくことになる。
どれだけ頑張っても愛が足りないという事実はずっと変わらず存在し続け、悩むことも多いと思う。

親から愛を100%受け取った子は、愛を知らないのかもしれない。
知識として知らなくても、考えなくても、そもそも身についているものだから。

愛が足りない、何かが足りない、人に求めすぎてしまう。
そんな生きづらい人達の根幹には愛の不足があると思う。
ただ、生きづらいを乗り越える為に小さな戦いを沢山してきた素敵な人たちでもあると思う。
真に空白を埋めることはできないが、代替と理解しながら違うもので埋められるよう、ひたすら考えぬき、戦って行く必要があると思う。

私はそれを楽しみたい。

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