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1社目退職後…同居・カゴの中の鳥状態〜この生き方でいいのか?

前回のお話はこちら

同居での様々な出来事

夫と二人で団地に住んでいる時、毎日のように険悪なムードでした。

口を開けば、お金に関する揉め事…。

共働きしていた当初は、「貯金がいくら貯まった!」とか
通帳を見るたびにニコニコしていたのですが。

夫の働く意欲のなさに発破をかけるつもりで
私は勢いで会社を退職しましたが
「これからどうしようか…」と
全く先を見通せない日々に負のオーラが立ち込めていました。


そんな中、義母からの提案…
それはすぐに決行されることとなりました。


結婚して3年…
夫の両親宅に同居。
最初は、慣れない同居生活でした。


自分が専業主婦として、何をすればいいのかという不安。
夫が目の前で弱音を吐いている場面に居た堪れなくなる日々。


唯一の救いは、義母でした。

いつも気にかけていただいたこと。
一緒に買い物に連れ出して息抜きさせていただいたこと。


しかし、夫との溝は深まっていくばかり。
体に触れられようものなら、私が拒否してしまう状態。


『夫はこの状況でもセックスだけはしたがるのか?』


正直なところ、子供は授かりたかったのですが
何せ家庭内がこんなにもゴタゴタしていて
安心して育てられるなど、全く思えなかったからです。


私がまた再就職してお給料を入れられるようになったら
夫はそこに甘えて、またダラけてしまうだろうと思い
家の中でモヤモヤした気持ちで家事ばかりしていました。


私は、モヤモヤした時に掃除を始めるクセがあったようです。
台所周りは特に…ピカピカになっていくのを感じました。


それを見るたびに『あ…私イライラしてるんだろうな』と
さらに気分が滅入っていくのでした。


その後、夫は仕事を探すという意欲が皆無となりました。
いろいろ考えすぎたのだと思います。


夫はどんどん精神的に病んでいき
安定剤などの薬漬けの日々になっていくのでした。


そして、毎日口癖のように言ってきました。

「俺の何が不満なんだ?」

外界との接点を切られる

どこにも助けを求めることが出来ない私のもとに
一本の電話が入りました。


それは、小学生の時からの友人でした。
「同窓会があるから、おいでよ!」


メンバーを聞いてみると、当時いじめをしてきた人はおらず
穏やかな人たちばかりが集まる予定とのこと。


その中には、20歳の成人式で再会した元彼も来ると聞き
私はどうしても同窓会に行きたくて、返事を待ってもらいました。


夫と夫の両親がいる時に、その日だけ外出させてくれないか?と
お願いをしてみましたが、案の定、即答で「ダメ!!」でした。


さらに義母は言葉を続けました。
「あなたは人妻でしょ?夜に出歩く意味が分からん!絶対ダメ!」
これは、他の男性と何かしら起こるかもしれないという予感が働いたのかもしれません。

結局、泣く泣く同窓会のお誘いを断る連絡を入れました。
友:「そっか…○君(元彼)も会えるかもって喜んでたけど…残念やね。」
私:「ごめんね…みんなによろしく言っておいてね。」


私の心の声『たしかに…○君とまた会えたら、たまらなく嬉しい。でも不謹慎か…あぁ会いたい』もしかしたら、この心の声が義母に伝わったのかもしれません。


私はその後、外界からの接点を一切断ち切られました。
全てのお誘いごとを『断れ』の一点張りで、カゴの中の鳥状態です。


しかし、義母のこの「人妻が夜に出歩く意味が分からん」という言葉
自分自身には該当しないと思われたのか、夜な夜な御膳様の光景を
私は何度も見てしまう事になったのです。


『自分は良くて、私はダメ?同じ人妻というのに?』


同居する事で、夫だけではなく義母の真の姿も見てしまう事になりました。

義父は元々口数が少ない人でした。

しかし、飲み歩く自分の奥さんが夜中に帰ってくるたび
「またこんなになるまで飲んでから!いい加減にせんか!」と
叱りつけている声を何度も聞き、私はうんざりし始めていたのです。

この時に、自分の人生をここに浸からせていいのか?と
深く考えるようになっていきました。

これが自分の選んだ人生なのか?

結婚4年目…。

同居して1年弱過ぎた頃、私の中では夫への愛が透明になっていました。
立ち直って欲しいという気持ちがあるような…ないような…

夫の失業は続いていました。
そして、夫の弟は彼女と結婚し、家に遊びにくることが増えました。

その度に、弟君は私のことを気にかけていました。

「兄貴、いつまでもフラフラせんで、しっかりせえよ!そんなんじゃ、りくゆとちゃんがここに居りづらいの分からんの?!」


弟が兄を叱るという光景…。


私は情けない気持ちでいっぱいになっていきました。

『これが私の選んだ人生なのか?』

誰も幸せな気持ちになっていないこの状況…。

手を差し伸べれば、それに甘える夫。
そんな夫でも私は愛していけるのだろうか?

どれだけ夫が本気に変われるのか
私はあえて自分の実家に帰る事にしてみました。


別居です。


これでも何も変わらなければ…と覚悟を決めました。

距離を置いてみる…が

夫が家を空けている時に、私は身近な荷物だけをまとめ
逃げるように実家へ車を走らせました。


父は、私が別居する事に何も反対せず、受け入れてくれました。
あの時は本当にありがたかった。
過干渉という部分だけが、私の苦しみではありましたが…。


その翌日、夫は実家を訪ねてきて私を連れ戻そうとしました。
しかし、帰る意思がなかったので断り、お引き取り願いました。


さらに翌日…


今度は、夫がこちらの実家で一緒に住むと言い出したのです。
父は「その言葉が本気かどうかを確かめる」と一緒の生活を承諾しました。


そして、私に父はこう言いました。
「どれだけの覚悟でここに来たか、ちゃんと見てあげなさい。」


それからすぐ、夫は実家へやって来たのです。


1日目の夜…


私は一つのベッドに夫と一緒に寝る。
しかし、全く眠れずにどうしようかと思っていた矢先のことでした。


体を触られ、無理やりキスされ…
この時に私は決めたのだと思います。


『この人と人生を共に出来ない』


直感で思った私は、ベッドから離れました。
「あなたは何しに来たの?」と泣きながら訴えました。


夫は、ただ一緒にいてくれればいいと思っていたのかもしれない。
しかし、あまりにも焦りが私に伝わって来て不安が募っていきました。


会話という会話もせずに
体の関係だけ迫ってくるという
何とも中身が空っぽな夫婦関係。

さすがにこのまま続けるのは、息苦しく感じました。

それから1週間もせずに、夫は自分の実家へ帰りました。
『針のむしろ』と感じたのかもしれません。

決断

その後、義母に連絡して、約束の日時に夫の実家へ向かいました。


私の部分だけサインした離婚届を持って。


夫はその席に出てこようともせず、部屋にこもりましたが
両親に何度も呼ばれ、やっと私の前に姿を見せました。


夫:「俺は書かない」


頑なにサインすることを拒んだ夫に
私は自分が思っていることを全て話しました。

当時25歳の私。

正直なところ、早く結婚し過ぎたのだと思います。
自分の未熟さも反省し、謝りました。

最終的に、夫は感情的に離婚届にサインして
私めがけて投げつけてきました。

夫:「これでいいんやろうが!!」

その場から逃げるように夫は立ち去りました。


私:「ごめんね。ありがとう。」


私は、夫の両親にもひどく責められました。

「あんたの辛抱が足りんかったとよ!」

そうかもしれません。ごめんなさい。
末永く共に生活出来なくて申し訳ありませんでした。


専業主婦としての生活は、2年ほどで終止符を打ちました。
そして、バツイチ独身として再就職する事になるのでした。


⇒就職2社目へ続きます。

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