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就職1社目⑦苦しみからの解放…その矢先に起こる試練

前回のお話はこちら

心療内科をすすめられる

過呼吸という今までに経験した事がない状況に
私は「また起こるんじゃないか」という不安と恐怖に
襲われるようになっていきました。


当時、私達一家は、父方の長男の家に居候という状態でした。

そのため、肩身の狭い思いも常にあったので
のびのびと過ごせない日々もストレスだったのかもしれません。


私が病院に運ばれてから数日後…


一つ屋根の下に一緒に住んでいる伯母さんから
「心療内科に行ってみたら?知ってるところあるから」と
私のことを気になっていたようで、声をかけてくれました。


私:「ありがとう…行ってみようかな…」


この苦しい状況を何とか変えたかった私は
伯母さんが教えてくれた心療内科へ行く事にしました。


まずは電話で予約しなくてはなりません。


伯母さんが段取りよく、電話で状態を話してくださり
初回の日時を予約してもらいました。


甘ったれの私…
結局は周りの人に頼ってばかり…
そんな自分がとても大嫌いになっていました。


今から20年ほど前の心療内科は、すでに患者さんが激増していました。
初診の予約が出来たのは、電話した日から3週間後のことでした。

心療内科に足を踏み入れる時

初診の日は、伯母さんも付き添ってくれていて
本当にありがたかったことを覚えています。


初めて心療内科に足を踏み入れる瞬間
『私は弱くもろい人間だ』と強く感じました。


その時の顔は、ひどく暗い表情で
自動ドアのガラスに反射していました。


目はうつろで…
頭はボーッとした感じ…
それに相反するように鼓動だけが
うるさいくらい”ドキドキドキ”と脈打つ…


『なんてひどい顔してるんだろう…』


そんな自分がさらに嫌になっていました。

診察前に…

看護師さんに呼ばれ、とある部屋に入りました。

その部屋のテーブルの上には
膨大な質問内容が書かれた用紙が置いてありました。
一通り説明をされた後、その紙にチェックを始めるのでした。

それはそれは細かい質問ばかりで
途中で疲れてきたのを覚えています。


しかし、その後に先生の診察もあるし
待合室ではおばさんを待たせてる…。

とりあえず、早く終わらせなければと思い
どんどんチェックをつけていくのでした。


こうやって、いつも周りのことばかりを
気にしているから、私はこんな風になったのかもしれない。

仏様のような心療内科の先生

ようやくチェックが終わり、待合室でしばし待っていると
診察室から私の名前が呼ばれました。


私は、おそるおそる目の前の扉を開けました。
すると、そこにはにこやかに迎えてくれる先生がいました。


先生:「こんにちは。どうぞこちらにお掛け下さい。」


先生は、常に穏やかな微笑みで診察をされていました。
まるで仏様のようにも感じたのです。


今のつらい状況を話していくにつれて
堪えきれずに私は泣いてしまったのですが

そんな時でも、先生はティッシュを
そっと渡してくれて、時間をかけて
最後までじっくり話を聞いて下さいました。


パニック障害というものに向き合い
少しずつ普通の生活が出来るようにと
漢方薬をメインに処方されました。

あとは、眠れない時だけ飲めるよう
睡眠導入剤を少し出してもらいました。


こんなにもゆっくりと話を聞いてもらえて
私の中でずっと耐えてきたものが
一気に解放されました。


「焦らずにゆっくりいきましょう」


先生は、終始微笑んで安心感をくださいました。

その日から、長い長い通院が始まったのでした。

結婚。環境の変化で向かった先は…

心療内科に通院を始めてから1年ほど経った頃…
私は22歳。以前から付き合っていたSさんと結婚しました。

まだその時も、パニック発作が
全く無くなった訳ではなかったけれど
環境が変わることで、良い方向へきっと
向かうと信じていました。


しかし、結婚して間もなくのこと…
事態は意外な方向へと進んでいくのでした。


『夫の突然の退職…』


まさに寝耳に水でした。


さらに、夫が退職の意思を伝えていたのは
夫のご両親にだけ。

私は一度も相談されることもなかったどころか
その話に関する事は、一切聞かされていませんでした。


ショックでした。


義母さんからは「Sから退職したいって話は、前から聞いてたやろ?」と
普通に聞いてこられたのですが、適当に話を合わせました。


『何で…信用されていないの?何で自分の親にだけ話してて
私は蚊帳の外になってるの?』

仕事と家庭の両立

それからというもの
3年の間に10カ所以上
職を転々と変えていく夫を横目に
私は家事と仕事の両立が必須と
なっていきました。


いつからか、私が家計を支える大黒柱。
そして働く意欲も無く、家事も全くしない夫。


残業が夜10時くらいになる日もありましたが
前もって残業になるという連絡をすると、いつも言われたのがこの言葉。


「俺の晩ごはん、どうしたらいいん?」


さすがに何か買ってくるなり、自分で出来ることはして欲しかった。
でも、結局は私が全てしなくてはなりませんでした。
残業帰りにコンビニでお弁当を買って帰るという日々…。


一日中パジャマ姿で
仕事をしなくなっていった夫に
不満がふつふつと湧き上がっていくのでした。

頭がおかしくなりそう…その後私がとった行動

私は、日々の仕事と帰宅後の家事でロボット状態でした。

薬の量も全然減らず
パニック発作が出た時のために
常に薬を持ち歩くようになっていきました。


そんなある日…
私は糸がプツッと切れてしまったのです。


『仕事辞めてやる』
『私が仕事をしていて収入があるから夫は甘えるのだ。』


やけくそでした。


そして、高校卒業してから7年ほど勤めていた会社を勢いで辞めました。


本当にあっけなく…
あれほどにも仕事のストレスで
メンタルやられても何とか踏ん張ろうと
薬を飲みながら働いてきましたが…。


まさかここで辞めるとは…
自分でも驚きの行動でした。


その後…


この状況を見かねた義母が
「収入も減ってるだろうから同居しよう。
気にせんでうちに引っ越してらっしゃい。」と
同居の方向へと流れていくのでした。


⇒1社目退職後…に続きます

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