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臓器提供の意思表示を生きている今、目に見えるものとして残しておくことも私にできることのなかのひとつになるよね。

皆さん、こんばんは。エルです。

命が誕生した瞬間から皆先の長い終わりまでの道のりを歩んでいく。誕生した時から終了に向けて生きていくのだ。遅かれ早かれ終わりがあるのは皆同じ。そうと分かっていながら一生懸命、がむしゃらに当たり前に過ぎていく1日1日を生きている。

けれど人間明日が必ずあるという保証はない。どんな人であれ"絶対"はないのだ。何が起こるか分からない今を生きている私達に"今"だからこそできることはないのか?自分の意志を自分で伝えることができなくなったとしても、自由に身動きが取れる"今"にできることをしておけば少しでも心残りは減るんじゃないか。

「死」がこれば終わり。命尽きた後に自分の臓器が誰かの役に立つのかと考えるととても誇らしく思える。世の中には条件に合ったドナーを探している人がとってもたくさんいる。私の臓器が誰かの条件に合うのかは分からない、だけどもしも必要としてる人がいるのならば私は臓器を提供したいと思う。これが私の意志だ。

私の死が誰かの生きる一歩へ繋がる。いつ終わるか分からないこの命。せめて今できることを、と思い「日本移植学会」に臓器提供の意思表示として登録した。

人間の数だけ意見は存在する。臓器提供するしないはその人が決めることであって他者が決めることではない。それもひとつの人権だと私は思う。

生きている私の気持ちを目に見えるものとして伝えやすくする為に。

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