好奇心と好きから気づいたこと
好奇心と好きは、私にとって強い気持ちです。それらを通じて考え出したことが、私の作る・作ろうとしている詩の根底に流れていることに気づきました。このエッセイでは、その経緯と結論についてお話しします。
(読了時間:約5分半)
好奇心が育てた2つのもの
感情は行動の原動力です。とすると、知りたいという好奇心は知ろうとする行動を生み出すことになります。その気持ちのままに動き続ければ、その後ろには既に知ったものでできた道が続くことになります。それは進むほどに長くなり、理解できることを増やしていきます。
分からないと思っていたことが、地道な情報収集と記録によって分かるようになった経験を繰り返す内に、難しいことでも分かるようになるかもしれないという可能性が私の中に育っていきました。
いつか欲求が満たされるだろうという漠然とした期待が持てることを、私は希望と呼びます。すなわち、知ろうとする気持ちが、知ることに対する希望を育てたのです。
それだけでなく、「分かる」という結果を、単なる時間経過ではなく自分の探索と努力で導き出したこともまた、ポジティブな気持ちを生み出しました。それは「分かろうとすれば、分かるかもしれない」という自己効力感(自分は○○できるという感じ)になりました。一般的にはこれを自信と呼びます。
つまり、好奇心が私の心に希望と自信をもたらしたのです。
好きが望んだ2つのこと
クリエイターとしての私の根っこにあるのは、好奇心ではありません。何かを作りたいという気持ちは、これまで好きになったいろいろなものを、自分の手で作りたいという欲求から来ています。
自分が好きなものは好き。それを作り出せる人も好き。その人に近づきたい……。という気持ちこそ、私が何かを作ろうとする創作意欲の大元です。
加えて、好きなものや好きでいることに共感してほしい、共有できる人と仲間になってやり取りしたいという気持ちも、好きという感情と共に存在します。「好き」は、私にとってポジティブな気持ちです。自分だけでなく他者の心の中にもそういうポジティブなものがあれば、素敵だなと思うのです。
よって、好きの気持ちが共感を求め、創作意欲を生み出しているのです。
キラキラは誰のもの?
私は、BUMP OF CHICKENと中島みゆきさんが大好きなのですが、彼らの作る曲は、どちらかというとネガティブよりの曲が多いです。けれど私にとっては、彼ら自身やその作る曲がとても価値のあるキラキラしたものに感じています。
長い探求の末に、そのキラキラが何からできているかを知りました。それは「万能感」です。万能感は、子どもなら誰でも持っている無条件の肯定の源です。その肯定的感情を、彼らを通じて私は見ていました(※1)。
もともと、私は結構ネガティブな感情にとらわれることが多いタイプでした。自分のダメな感じと彼らのイイ感じを対比して、彼らのようになることで、イイ自分になろうとしていました。
しかし、彼らをイイと思う理由のない気持ちが初めから自分の中にあることに気づいたとき、彼らを介さなくても自分のことをイイと思えることを知ったのです。しかも、イイと思うことに理由は必要ありません。
※1:心理学用語を含めて説明すると、これは「万能感の投影」にあたります。投影とは、本当は自分の中にある気持ちを、自分の中には全くなく、他者の中にあると考えることです。
私がキラキラしているなら君だって
私が高校生のとき、好きなものはいくつもありましたが、それを共有できる人はひとりもいませんでした。くわえて、過去の自分がそうだったように、何かのものや誰かは好きでも、自分が好きになれない人もいるはすです。
けれど、その気持ちは、決して特別なものではありません。何かを好きで、その好きなものに対してポジティブな感情を見出している人は、私以外にもいるでしょう。だからこそ、私の気持ちに共感する人がいるはずですし、私が共感できる人もいるはずです。
ならば、私が持っている肯定的感情だけでなく、希望や自信もまた、他者の心の中に初めからあるものと言えます。あとは、その人がいつ・どうやって見つけるか次第です。
君が素敵だってことを君自身で気づくんだ
自分のことをイイと思う気持ちが、初めから人々の心の中にあるなら、それをわざわざ他者である私が見つける必要はありません。しかし、ひとりで見つけようとすると苦労するでしょう。
そこで、私の作品を通じて、肯定的な感情を見つけられるように手助けすればいいと考えます。あくまで手助け・協力にすぎず、それを行う主体、言い換えると主人公は、その人自身です。
私にできるなら、君にだってできる。あとは、その方法を知って・試して・身につければいいだけです。
まとめ
私の持つ好奇心は、希望と自信を育みました。その結果、自分が好きなものに見出していた肯定的感情が、初めから自分の中にあることに気づきました。
好きの気持ちは、共感を求めています。それは、共感される方だけでなく共感する方にも働いています。よって、共感に基づき、肯定的感情が初めから自分の中にあるなら、他者の中にもあるはずだと考えるようになったのです。
私の創作意欲は、好奇心ではなく好きの気持ちから湧いてきています。他者の心の中に、肯定的感情が既にあるならば、それに本人が気づけるように促すだけで十分です。ですから、気づく手助けができるような作品を作りたいのです。
おわりに
このエッセイは、自分の書こうとしている「君」という存在に、ある種の共通項があることに気づいて書き始めました。
書いている途中で、かなり重要なことを述べようとしているのに気づいたので、書き上げるのにより時間をかけることにしました。なぜなら、大切なことには、それ相応の時間と労力をかけることが必要だからです。
このエッセイで話したことを軸にして、もう少し詩を書いてみるつもりです。よろしければ、スキを押していただけましたら幸いです。
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