理解と保身:「LGBTとハラスメント」

今回の本

「LGBTとハラスメント」(神谷悠一/松岡宗嗣)です。Twitterで発売を知った時、私自身、本書で扱われている人々とどう関わるか定かでなかったことと、なぜか本書の評判が悪かったため、かえって気になって購入・通読した次第です。多分、オビの推薦人のせいだと思います。

WHAT AM I?

( ˙꒳​˙ ).。oO(念のため事前に説明すると、私自身はシスジェンダーの男性です。シスジェンダーとは、誕生時の肉体上の性別と精神的な性別が一致していること。私の場合、心身ともに男性ということです。)
Twitterではセクシャルマイノリティを称するフォロワーさんはいますが、現実の知人で名乗り出た人はいません(←この言い方で、本書を読んだ証拠になると思います)

概要

本書は大きく二部に分かれています。第一部も大きく見ると二つに分かれ、前半は「LGBTとは」「SOGIとは」の概説です。要はこの本で頻出する語句の定義づけと解説です。
SOGIの言葉は本書で初めて知りました。Sexual Orientation(性的志向、つまり好きになる性別)Gender Identity(性自認、つまり自分を何の性別だと思っているか)の略語です。ソギ、と発音するようです。
( ˙꒳​˙ ).。oO(念のため。私の性的志向は女性です)

第一部の後半は筆者たちが受けた性のハラスメントと、LGBTに向けられるポジティブ/ネガティブな勘違いと弊害の数々の話になります。実のところ、本書の評価はここで決まると私は考えます(本書の第一章~第三章)。

第二部はLGBTの労務に関連する法制度や個人情報管理についてであり、特に人事や総務の仕事をする人、参考までにオフィス勤務者向けの内容です(本書の第四章、第五章)

感想

第一部後半、ここに注目します。LGBTの人に向けられる無知、誤解、ハラスメント、ネガティブな勘違い、ポジティブな勘違いの事例が22パターンに渡って紹介されています。当然、この手の本ではLGBT当事者の苦難をフォーカスするため、当事者を苦しめる22の事例、と言い換えることもできます。

総論としては「なるほど5割、しんどい3割、筆者に疑いを抱く2割」

LGBTがそれぞれ別物なのに混同されている、自然に反するとして否定される、名乗ってもいないのにそうだと決めつけられる等々は、なるほどそりゃそうだろうと思った部分。このようなことは当事者として当然避けてほしい、正しく理解してほしいという主張は納得できました。

「ん?」と思ったのはパターン11、トランスジェンダー女性を性暴力の加害者と結び付ける人たち、の部分。トランスジェンダー女性とは、外見の肉体は男性で、精神的には女性の人を指します。Twitterでも度々嫌悪感を剥き出しにする人がいますね……。お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の受け入れを表明した時に特に高まりましたが、筆者もそのタイミングに注目していたようです。

「女性のスペースにトランスジェンダー女性が入ってくることは性暴力に繋がる」という主張に対して、筆者はすでに利用している当事者がいること、異性装(この場合は女性の格好)をする当事者が男性トイレ利用にストレスを感じ、男性トイレ利用者からも不審がられる困難をもって反論します。

と、ここまで書くと「これの何が疑問なのか」と思われると思います。確かにこの部分だけを読むと筆者の主張に非の打ちどころはないのですが、筆者は本書において、LGBTハラスメントやSOGIハラスメントの事例として、当事者の職場の同僚や上司の性別と言動、ハラスメント事例として勤務先に報告された後の末路を細かく描写している箇所が度々あります。おおむね男性の事例です。

さて、上記のトランスジェンダー女性への差別的な発言をしたのはどんな人たちだったか?リアルタイムで見ていた人は覚えていると思いますが、なぜかパターン11は、実際に差別した人の属性を匂わせすらしません。
今の時点で、セクシャルマイノリティが敵にできる属性の人と、敵にできない属性の人を暗に線引きしているのではないかと疑いを抱くのです。女性からのハラスメントの記述がまったくないわけではないのですが。

さて、残り3割のしんどいの部分なのですが、これは単純に、22パターンもLGBTに被害を与える言動や事例を列挙されると「結局どうしてほしいの?」という袋小路にハマるためです。

なぜそうなるかというと、結局、セクシャルマイノリティが自ら名乗り出ない限り、そうでない人々はその人がセクシャルマイノリティか判別できず、本人が名乗り出て判明する前も後も様々な制約めいた記述があるからです。「私の周りにLGBTはいない」は言うまでもなくアウト。
「私は気にしないから」もアウト。
「大変だったね」と労うのも注意。
「LGBTのために~する」も危険(元々解決すべきだった問題に、LGBTをダシに使ったと見なされるため。また、LGBTのための施策とされるものが、すべてのLGBTに歓迎されるとも限らないため……トイレとか)。

では、どうするか。
本書を注意深く読み取ると、特にカミングアウト(セクシャルマイノリティが自分がそうであると名乗り出ること)が大変な勇気と覚悟を要すること、それを裏切るアウティング(カミングアウトされた情報を、本人の承諾を得ず他人に漏らすこと)が強調されています。そして第二部の労務管理においては、カミングアウトを要しない社内手続きの確立、カミングアウトされた場合の個人情報の厳格な管理を訴えています。

それらの記述から、もしも自分がカミングアウトされた場合に、何よりも優先して本人に確認するべきは「誰がその情報を知っているのか?」だと考えられます。これによって、本人が抱えている具体的な問題は個々別々でも、自分がその情報を誰と共有できるのかが決まります(友人・同僚・上司・総務・人事・病院・公的機関etc)。また、不幸にもアウティングが起こった場合でも、自分ひとりが容疑者ではないと主張できるわけです。
個人のアイデンティティに深く関わる秘密を抱えている人たちがいる。ある日突然、それが信頼の証として自分にもたらされるかもしれない。

だからこそ、本書「LGBTとハラスメント」の教えるところは、
正しい理解と保身の技術の両方を持っていなければ破滅する、ということだと、かつて濡れ衣を着せられた身としては主張します。


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