【徒然・校正】他者の制作物を未完成で修正すべき点があるものと見なすこと、そのコンセンサス

 校正に関する話です。

 校正作業を通じて、当然ながら赤字を出す──要修正のアラートをあげることがある。
 つまり、この時わたしは他者の制作物にけちを付けている。

けちを付・ける
①他人に対して、前途に不安を抱かせるようなことをする。人のいやがる不吉な言動をする。「めでたい式に━・ける」
②欠点をあげてけなす。難癖をつける。「人のやることに一々━・ける」
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 なーんだ、「けちを付ける」とは意味が違うじゃないか、と胸を張ることはたやすい。
 誤り-miss-と欠点-weak point-は違う(?)だとか、修正されることによって制作物は良くなるのだから差し引きプラスだとか、そもそも正にその指摘を得るために校正を依頼しているんだとか、いろいろ言えば言えるし、そのすべてはある程度理にかなってもいるのだけど、あらゆる前提は「この制作物は未完成である」というコンセンサスに基づく。

 そう、未完成だから、未完了だから、まだ変更できるから。
 変更しても誰も損をしないから、むしろ得をするから、そう見做していいという約束をしてあるから、大手を振って口を出している。

 先日、友人の同人誌の校正を依頼された。一連の作業と報告の経緯は双方にとって実り多いものだったが、それは友人もまたメディアに関わる人間であり、[状態:未完成]に慣れていたからだろうと思う。

 書き付けられ、読むテキストが[状態:未完成]であるときちんと受け止め、完成に近づけて行く工程には、実際のところ、ある種の訓練がいる。 
 現物を絶対視しすぎてはいけないが、軽視してもいけない。
 【最終的に】この形かはわからないが、同時に【いま】この形である理由は必ず存在する。
 今の形の原因を知り、理由を知り願いを知り、たとえば角度を補正するように、たとえば力加減を整えるように、たとえば整頓をより行き届かせるように。
 安易ではいけない。私的でもいけない。作者に寄り添い、同時にコモンセンスをも捉えて、一対多を精密に仲介するために、突き詰める。

 ──結果、現状を踏み躙るというわけよ。まあ、結局は不遜であるに違いない。作者の生み出した【いま】を棄却し、まだ見ぬ読者の代表ヅラをも兼ねているかのようですね。本当に、校正とは勝手に実施するのはよくないものだ。


 実際のところ、この「未完成扱い」スイッチは特定の状況でのみ有効なものなので、普段の日常生活では適切にOFFにしておく(当たり前だ、日常で触れる物は完品扱いをしたい)わけだが、いかんせん、昨今はWeb記事ってやつがありまして……あれはですね、スッと訂正できてしまうんだわ。
 公開されていて、完成しているけれども、うん、未完成なもののように扱える成分がある気がしてしまう。

 これは直ったほうがいいだろうな……いや、でも修正は手間だな……仕事増やしちゃうよな……いやでも直ったほうが……以下エンドレス。
 基本的には(当然)触らないが、これはさすがに見逃さないほうがいい!と確信できたものに関しては報告したりもする。

  • 事実誤認であることがエビデンス込みで説明できる(現状では読者にも誤った知識が伝わると思われる)

  • 医療の面、法律の面から問題がある

  • 今後、頻繁に参照される可能性があり、その度に誤り確認が再度走りそう

  • 典型的な論理の誤りを犯しており、著者の見識が疑われかねない

  • 固有名詞(特に人名)が誤っており、第三者に対して失礼にあたりそう

  • 矢面に立つ相手が個人ではなく組織【とても重要】

 あたりはGOしがち。エビデンスは必ず添える。決して怒りは見せず、「確認していただけますか」の態度を守る。
 あとは、絶対に公開の場に誤りのログを残さないこと。なぜなら仮に訂正された場合、誤っていた過去の状態は事後的に[状態:未完成]のものに変わるので、未完成の状態を記録に留めてはいけないのだからして。

 かくして今月も、ふと目についた公式サイトの誤変換をそっと報告しました。あっという間に直ってました。すいません、仕事増やしてごめんなさい。ノベル版の校正をお預かりしてしまったので仲間意識もあったんですよ。修正を担当してくれた人にとってはそんなこと知る由もないでしょうけれど。

 もう誰も誤っていたことには気付かず、知ることもなく、かくして未完成な状態は溶け消える。

 別に意味などないのだろうと思う。
 自分のしていることに意味があるという確信も特にない。
 ただ、生まれたものに願いが宿っていること、わたしもそこに何かを願うということだけが確かだ。

「未完成で修正すべき点がある」と見做すなんて、本当に傲慢で、図々しい話だね。
 それでもよってたかって、より良いものを目指している。
 そんな"理想"を共同幻想として前提しなければ、そもそも校正の仕事なんて成り立たないのではないだろうか。

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