Art|ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》 今日の食事のメニューは?
毎週火曜は、アートの日。先週に引き続き、3/3から開幕する「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に出品される作品の中から、1点を取り上げます。
今週の1枚は、ディエゴ・ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》です。
17世紀スペイン黄金時代の宮廷画家ベラスケス
ベラスケス――。知らねーよ!!って声が聞こえてきそうですが、17世紀、スペインが無敵艦隊で世界を制し「黄金の世紀」呼ばれた頃に、スペイン王室のお抱え画家として活躍した画家です。
1599年にスペイン南部の貿易都市セビーリャに生まれ、1660年に働きすぎて過労で亡くなります。マドリッドで息を引き取ったのは、8月6日のこと。僕の誕生日でもあります。
24歳のときに、時の国王フェリペ4世に見いだされ、王の専属画家になって以降、確実にキャリアを積み、画家ながら、最後はスペイン王妃マリア・テレサと、フランス国王ルイ14世の結婚に奔走するなど(弱体化するスペイン王国とフランスの同盟が目的の政略結婚でした)、スペイン王室に信頼された男でした。
ですので、ベラスケスがもっぱら描いていたのは、国王や王妃、王子、そして周辺の王族たち。王室の権威を伝えるため、威風堂々とした作品を多く残します。
また、その一方で、ラフな筆遣いを使って、王室の使用人などを描いたカジュアルな絵は、その表現方法から「印象派の先例」ともいわれています。
聖書で一、二を争う難解な物語
本作は、そんなベラスケスが19歳頃に、故郷のセビーリャで描いた作品です。
ディエゴ・ベラスケス《マリアとマルタの家のキリスト》
1618年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
「マルタとマリアの家のキリスト」というテーマは、新約聖書「ルカによる福音書」に書かれた物語です。
この「マルタとマリア」の物語は、「ちょっと何言ってるかわかんない」感じの物語で面白いので、引用しますね。ちなみに、マリアはイエスの母、聖母マリアとは別の人物です(新約聖書には、マリアが3人出てきてややこしい)。
マルタとマリア
一行が歩いていくうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマルタという姉妹がいた。マリアは主(注:イエスのこと)の足元に座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしなく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
――新約聖書「ルカによる福音書」第10章38-42節(『聖書』新共同訳より)
聖書の物語は、原文を読むと意味不明なことが多くて、補助線なしで読むの難しいものです。そのなかでも、理解に苦しむのがこの「マルタとマリア」の物語。来訪者のために働いていたマルタよりも、イエスは自分の言葉を聞いているマリアの方が、「良い方を選んだ」と言っているわけですから。今の時代だったら、確実にTwitterで炎上しちゃうでしょう。「マルタの気持ちにもなってって!」って。
おそらく、この物語の教えは、その瞬間、その瞬間で「一つだけ」の必要なことに専念しなさいという意味だと思うのです(この場面では、イエスに会ったんだから説教を受けなさい)。だけどわかりにくい。キリスト教信者のなかでもマリア正論派とマルタ同情派で分かれているようです。
ちなみに「マルタとマリアの家のキリスト」のタイトルで、フェルメールも作品を残しています。現存するフェルメールの作品で、もっとも古いとされています。フェルメール22歳頃の作品です。
ヨハネス・フェルメール《マルタとマリアの家のキリスト》
1654~55年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵
マリア・マルタ論争は、じつは今回の鑑賞にはあまり関係ありません! じっさい、題名になっているにもかかわらず、この作品の中では、フェルメールのように真正面から取り組まず、壁に掛けられた絵(画中画)に「マルタとマリアの家のキリスト」を描いただけ。それよりも手前の若い娘と老婆が食事の支度をしている様子を、19歳のベラスケスは描きたかったことなのだと思います。
テーブルの上の食材で何を作る?
まず絵をじっくりと見ます。そこで目に入ってくるものをチェックしていきます。
僕の場合は、まず右下の真っ白な2つの卵。真っ白なつるんとした卵がかなりリアルに描かれていることに気づきます。そこからその上の壺。めちゃくちゃきれいに磨かれているのか、机が反射しちゃって、鏡みたいになっています。横の4匹の魚はなんでしょうか? 鯛っぽいですね。doradoというヨーロッパの鯛でしょうか。
手前にはニンニクと身を抜いた殻が散乱しています。これらを使って若い女性が料理をしているのでしょう。何をしているのでしょうか。
ちょっと調べてみると、壺の中身はオリーブオイルが入っていることが多いそうで、ガーリックを利かせたマヨネーズなんじゃないかと推測。タイは焼くか、もしくは、セビーリャはフリットも名物みたいなので切り身にして揚げ、マヨをつけて食べるのもおいしそう。そんな食事のメニュー作りの最中なのでしょう。
それを小姑か誰かが、アドバイスしている(もしくは嫌味を言っているのか)ようです。しかし、女性2人の間柄に決定打といえるものは描かれていません。
とにかく右下の卵を実際に見てみたい!
僕は、この絵の実物を見るなら、右下の卵を見てみたい!
本を作っていても、印刷で白を出すのって難しくて、周りの色の影響をうけちゃったりするんです。だから、いま展覧会のチラシを見ながらこの記事を書いているのですが、印刷のレベルでも、卵の本物感がものすごいわかる。なら「本物はどうなのよ? 見てみたい!」ってなってます。
それとその上の壺ですよ。この光を反射している壺(資料によると真鍮だそうです)もどれだけ金属を描けているのかにも注目してみたいです。
そうなると卓上の食材のリアルさも気になるなぁ。
僕のnoteは料理人さんも多いと思うので、テーブルの上の食材で、どんな料理が作れるのかを考えてみるのも面白いかと思います。白身魚、卵、ニンニク、オリーブオイルから、何ができるかなぁ?
飾服の専門の方とかだった、女性の来ている服の質感から、材質を想像して、この家の経済事情も分かってしまうかもしれませんね。そういうイメージを想起させるほどのリアルな静物描写が、この絵の魅力なんじゃないかなと思います。
何とも言えない、何か言いたげにこちらを見る若い女性の表情も、ちょっとした朝ドラ女優感があります。
自分らしい発見を見つけましょう
しかし、19歳のベラスケス青年。これだけ描けたらすごいものです。
当時の絵画のヒエラルキーでは、こういった庶民の日常の生活を描く「風俗画」と呼ばれるジャンルは、下等なジャンルとされていました。画家は王国の過去の栄光などを描く「歴史画」や、キリスト教の教えを描く「宗教画」、現実の国王などを威厳を持って描く「肖像画」を描くべきとされていました。
そんななかで、テーマとして最上級な「宗教画」を扱いながら、実際は庶民の生活を描いているこの絵は、きっと批判を受けたことでしょう。それでも、ベラスケス青年は、ルールを破ること、そして圧倒的な技術力で静物を描くことで、絵画の革新に迫ります。
先週書いたゴッホの《ひまわり》のように、世界的に名の知れた名画ではありませんが、この絵は確実に未来の大画家ベラスケスの萌芽を示す作品であり、それを知らずとも、見るだけで、ベラスケスという画家の技量と表現力の高さを感じさせます。
絵画は、ある程度の理解(聖書の意味や、描かれている小道具の意味)すると理解は広がるのはその通りなのですが、一方で、自分が好きな目線で見ることをしてもいいと思います。僕の場合は、食に興味があるので、自然と絵の中の食材に目が行きます。
そから自分で考えたり調べたりするのが、一番大事だと思っています。
縦60㎝横1.04mの比較的大きな絵ですので、見逃すことはないと思います。ぜひ「手前のテーブルの上の静物」に注目して鑑賞してみてください。
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