Human|川手寛康さんに、料理で世界を変えることができると教わった
2012年から7年間、料理専門誌の編集部に在籍していました。編集部を離れた時に、「今までの取材で印象に残っている取材は?」と聞かれたことがありました。
2015年、持続可能な世界を目指して移転
ひと月で5回以上のレストランに取材に行っていたので、1年間で60回。7年間でのべ420店の取材をしてきました。全国各地、さらにはありがたいことにフランス、イタリア、スペイン、オーストラリアの海外取材も経験してきて、一昨年亡くなったジョエル・ロブション氏をはじめ、海外の名だたる星付きシェフにもインタビューさせてもらっていて、その取材一つひとつ貴重なものです。
そんな中で冒頭の質問をされて答えたのは、東京・神宮前にある「フロリレージュ」の川手寛康さんへの取材でした。
1978年生まれで、ほぼ同い年(僕は1977年生まれ)川手さんにはじめてお会いしたのは、現在の神宮前に移転する前の2014年、南青山にフロリレージュがあった時です。それ以来、おそらく年に1回は取材させていただいきました。個人的にお会いしたりすることはないので「お友だち」というわけでもないのですが、川手さんとチーム・ラボの猪子寿之さんとの対談を実現させて、川手さんからも「かなり衝撃的でした」と喜んでもらったこともあって、その時々の取材で、比較的心が近い距離で川手さんの考えの変化を聞かせてもらっていました。
フロリレージュが移転をするという話を聞いたのは、ちょうど最初の取材直後だったと思います。雑誌でも、移転前、移転直後に取材して新店のコンセプトを取材していました。
川手さんが移転した理由の一つに、「料理人として、生産者の声を自分たちの言葉で届けずに料理をし続けることが辛くなった」ということを話していました。
たしかに、それまでのフロリレージュは、キッチンが閉ざされていて、中の様子がまったく見ることができませんでした。
移転を機に、フルオープンキッチンの劇場型にして、食材のすべてを見せるようにしました。さらにオープン当時の新生フロリレージュがシグニチャーディッシュにしていたのが当時、まだ珍しかった経産牛を干し肉にして、しゃぶしゃぶにした料理「サステナブル 牛」でした。
サステナブル 牛
(フロリレージュのHPより)
本来食肉として見られていない経産牛(出産を終えて年老いた雌牛)は、廃棄(あえてこの言葉を使います)されるだけでした。当時は、経産牛自体がじつはとてもおいしくて、人間の都合で利用される命を、できるだけ食べることでその命をまっとうさせようという思いが強かったように覚えています。しかし、5年経った現在からみると、川手さん(もちろん川手さんだけの力ではありませんが)が経産牛に目を向けさせることで畜産の世界にある問題を浮き彫りにさせることにつながったのではないか、と思います。
当時、「生産者の顔の見える食材」というのはすでに知られていました。しかし、食に関する問題を提起し、それを解決しようとするソーシャル(社会的)なレストランは、フロリレージュ以外で思い出してみると、ちょうど移転と同じ2015年に、サステナブルなレストランとしてリニューアルした、生江史伸さんがシェフを務める「レフェルヴェソンス」くらいでしたでしょうか。ソーシャルな課題に向き合ったレストランは日本には、ほぼありませんでした。
当時の僕は、さまざまな問題について不勉強なこともあったこともあり、「サステナブル(正確には確かフードロスという言葉を川手さんは使ってたのですが)がマーケットの反応が、本当にあるのだろうか」と、川手さんの決断に懐疑的でした。「それよりも、川手さんの師匠であるカンテサンスの岸田周三さんのようにアルティザン的な料理人になる方がいいのではないか」というようなことを感じていたように思います。
しかし、フロリレージュの移転以後、世界は大きく変わりました。
海外ではセレブリティの間で当たりまえになっていた持続可能な世界に、日本でも個人個人が関わるようになりました。SDGs(持続可能な開発目標)は、グローバル企業の課題として当たり前になりましたし、サステナブル・シーフードのような海洋資源にも少しづつですが人々の視界に入ってくるようにもなっています。
ごくごく近年では、畜産業が与える地球環境の負荷を問題視する人も増え、ヴィーガンを選択する人もでてきました。
フロリレージュの移転から5年。こんなにも早く、川手さんが話していたようなことが、一つの価値になるなんて思いもよらなかったことが、現実的に起こったのです。
料理で世界を変えることができる
フロリレージュは、移転前は一度ミシュランガイドで一つ星を獲得していましたが、2012年度版を最後に星を失います。しかし、この移転をきっかけに2016年度版で再度一つ星を獲得。2018年度版でさらに二つ星に昇格しています。
世界的なレストランランキング「世界のベストレストラン50」のエリア版である「アジアのベストレストラン50」の2018年版では、アジア3位になり、名実ともに、川手さんが目指したコンセプトが評価をされたといえると思います。
もちろん「サステナブル」というテーマ自体は、2000年代からすでに世界で議論されていたことですし、料理界でもアメリカの料理人、ダン・バーバーさんが「食とサステナブル」というテーマにいちはやく取り組んで、2009年にタイムマガジンの「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれているので、川手さんがすべての立役者というわけではありません。それに川手さん以外にも日本で、「サステナブルな食」というものに取り組まれた生産者の方や料理人もいたと思います。
でも多くの人がおそらく「安い、早い、うまい」が根強く、海外とは食習慣がまったく異なる日本では「日本で、サステナブルはまだ早い」と感じて、行動やインパクトのある発信にまで移せなかったのではないでしょうか。
そんななかで川手さんは、自身の立場をいい意味で利用して、いち早く取り組んだわけです。
こうした世界が変わっていくスピードを近くで見ることができたのは、7年間の料理雑誌の編集の経験として本当に貴重だったと思っています。料理雑誌を離れた後も、自分なりのフィロソフィーをもって、世界に落胆せずに向き合えているのは、川手さんの取り組みを間近で見ながら「料理は世界を変える可能性を秘めている」そのことを実感できたからだと思っています。
「料理は世界を変える可能性を秘めている」
そのことを心に刻むことができた川手さんの数度にわたる取材は、7年間の素晴らしい財産だと思っています。
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イケメンシェフで女性ファンも多い川手さんですが、実は男性にもフラットにせっしてくれる料理人だったのも、僕的には印象に残っています。
それと、お会いするごとに話すスピードがどんどん速くなっていったのも結構印象的だなぁ。その頃は、海外での講演活動を何度もされて、世界を俯瞰して見えているんじゃないかと思うくらい、たくさんのことに気遣いをされていて、たぶん思考のスピードに言葉が追い付いていないんだろうな、と思った記憶があります。
t最後にしっかり話を聞いたのは2019年の3月で、「アジアのベストレストラン50」の2019年度版の発表直前だったと思います。前年に3位で、初めて「スタッフのために1位を獲りたかった」と話してくれたのが印象に残っていますす。
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明日は「Work」。このところインタビューを立て続けにしていることもあって、そこで考えたり感じたことを「今を書かなければいけない」。