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Life|「美しさ」とは「欲情」なのか?

3/14(土)に東京で桜の開花が宣言されました。平年より12日早く、昨年より7日早い開花で、統計開始以来最も早い開花日となったそうです。

確かに、今年は暖かい日が多かったですからね。関東では雪も2度しか降っていないんじゃないかな? 桜が咲き始めると、スギ花粉も弱まり始めるので、今年は花粉の季節も短くてすみそうです。

陰鬱な日々が続いていますが、季節は流れていくし、新しい日は訪れる。希望を感じさせる明るい話題に、ほっと心が和みました。

「美しい」桜の瞬間とは?

当然、今年の花見はどうしよう? と考えてしまうのは日本人らしいところですよね。みなさんがお花見に行くとしたら、どの時期に行きたいですか?

花弁が咲き始めて生命力にあふれる頃? 満開でわさわさしているころ? それとも、チラチラと花弁が散り始める頃?

どの時期も、その時だけの魅力があるのですが、僕はどうしても散り始めの桜が好きです。なぜなのかな? と考えてみたときに、その時期が一番桜が「美しい」と自分で感じているからだと思います。

もちろん、咲き始めや満開の時期もきれいだな、と思いますが、どうも「美しい」とは違うように感じます。それでは、美しさとはいったい何なのでしょうか?

料理の美しさ、絵画の美しさ、文章の美しさ、歩き方の美しさ

もう少し自分が「美しい」と感じるものを考えてみます。

料理であれば、美しさは、ものすごく薄く仕上げられたチュイル、や鋭角にカットされた食材の断面、おそろしいほど透明なブイヨンなどでしょうか。一方で、きれいさは、調和した配色やシンメトリーなデザインなどのような気がします。

絵画では、透けるような質感の衣服や、そこから伝わる人の肉体、透き通るような女性像などでしょう。一方できれい、というのは、朝日だったり夕日などに代表される理想的な自然風景や、絵の表面のなめらかさや、絵の写実的な正確さなどを指しているように思います。

文章ではどうでしょうか。美しい文体とは、程よく無駄のある文章ですかね。一方きれいな文体というのは、間違いのなく、一本の筋のようなものをイメージします。

もっと考えると、美しい歩き方、きれいな歩き方というものはあるのでしょうか?

書くことで気づかされた「美しい」の定義

じつは、自分の「美しさの定義」は、消えてしまうような「儚さ」にある思ってこのnoteを書き始めました。

触れたら壊れてしまうような繊細さなのなかに潜む儚さ、そこに僕は惹かれる。桜の散り際にもそういった儚さがあります。

というまとめ方をしようと思っていたのですが、いざ自分の「美しさ」の定義を書き出してみると、どうやらまったく違う定義が自分にあることに気づきました。

たぶん、このnoteを読んでくださっている方は気づいたかもしれませんが、僕の中での美しさは、まるっきり「女性へのまなざし」です。しかも、ひじょうに男性的の一方的な思い込みによる、あこがれだったり、理想にちかいものです。なんか、気持ち悪い告白になってしまってすみません。いや、はや恥ずかしい。

それと同時に、僕には、女性へのまなざしとは異なる「美しさの定義」を持ち合わせていないことに気づきました。

では美しさが恋愛対象になる性別へのまなざしから生まれるとしたら、その対象の違いによって「美しさの定義」に違いが生まれるのでしょうか?

つまり、女が好きな男である僕の「美しさの定義」と、男が好きな女、女が好きな女、男が好きな男のような場合、「美しさの定義」に、何かの差異が生まれるのでしょうか。

いったい「美しさ」とは何を指しているのでしょうか?

整っている」だったり、「物事の調和」など「きれい」といった愛でる行為ではない、脳から快楽物質ドーパミンがどばーっと出てくるような快楽的な感情としての「美しさ」とは、恋愛対象の差によって、定義も変わってくるのでしょうか。

それとも、僕が考えている「美しさ」とは、単に「欲情」と同じものなのでしょうか?

ふとした桜の開花からそんなことを考えた、3月3週目の月曜日。

花見の話から、まさか自分の性癖の話になるなんてねぇ。

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と、ここまで書き終えて、ギリシア神話の女神アフロディーテ(ローマ神話ではウェヌス、ヴィーナスに対応)のことを思い出しました。ルネサンス以降の神話画でたびたび題材になっているアフロディーテは、美と愛と性をつかさどる女神でした。

キリスト教世界以前から「美しさ」は「欲情」と近くに置かれていたことを思い出し、自分の快の情動が、普遍的な「美しさ」の文脈の上にあることに、ほっとしました。なにも、そんなに変なことじゃなんだと。

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トップの絵は、ローマ神話では、ギリシア神話のアフロディーテに置き換えられて伝えられた女神ヴィーナスの誕生シーンを描いたサンドロ・ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》(1485年頃、ウフィツィ美術館)。


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