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Human|「おいしい」を伝えるものとして

包丁や鍋などのキッチンブランド「貝印」さんが運営する、料理家、料理研究家さんの会員サイト「Kai House」で、定期的に取材・執筆をさせていただいています。

今回、担当したのは、フードフォトグラファーの花渕浩二さんです。今ではそれほど珍しくない(そうでもないか)、料理専門のフォトグラファーで、年齢もほぼ同じ(僕が77年生まれ、花渕さんが78年生まれ)ということもあって、取材では90年代の雑誌ブーム、サブカルブームで「そうそう!」ってなる、楽しい取材でした。

記事にもあるのですが、花渕さんは、場の空気を作るのが上手な方で、ついついこちらが喋ってしまったというのもありますが(いや、かなり)。

※トップ画像は花渕さんの写真ではありません。

おいしいという「概念」をどう伝えるか

でも、ただ、同年代の懐かしい話をしていたわけではありませんよ。

じつは、インタビュー前から、「料理を作る側ではないのに、食のすばらしさを伝えようとしている」という点で、恐れ多いながらも職種が近いと思っており、聞いてみたいことが多くありました。

とくに、取材の前に「おいしいという概念」について考えていたこともあって、料理を作れない者が、何をもっておいしいとしているのか、その考えを食のフォトグラファーで前線を張っている方がどう考えているのか、とても楽しみでした。

(花渕さんの回答は、ぜひKai Houseの記事をご覧くださいね!)

「ようやく入り口に立てた」と、ぼくは言えるか

インタビューのなかでもっとも印象的に残っているのは、ある2人の料理人を撮影したエピソードでした。

「杉田孝明さん(『日本橋蛎殻町 すぎた』)と小山進さん(兵庫『パティシエ エス コヤマ』)のお二人を撮影させていただいて、電撃が走りました。一流は、ここまでやるのかと。お二人は毎日の仕事を常に見直して、さらに良いものを作っていこうとする姿勢を見させてもらいました。だからお二人はここに立てるのか、と考えさせられましたね」

ちょうど40歳を過ぎたころで、フードフォトグラファーとして、「やれることはやったかなぁ」と感じていた花渕さんに、文字通り「電撃」が走って、「自分はまだまだだ。この2人に出会った気づけたことで、ようやくフードフォトグラファーの入り口に立てたんだ」と思うようになったといいます。

これって、すごいことですよね。40歳を過ぎて「入り口に立てた」といえるんですから。つねに良い仕事の環境にいること(もちろんこれは、良い仕事の積み重ねが成せる)もあると思うのですが、何より、花渕さんの感性によるものですよね。謙虚、につきると思います。

ここ数年、手を抜くということとは違うと思いながらも、「カジュアルさ」とか「軽さ」を「受け取る側に押し付けないようにするために、やりすぎない」というように感じていたので、身を正された思いでした。

カジュアル」だったり「軽さ」の向こうには(杉田さんや小山さんがカジュアルだ、という意味ではありません。念のため)、花渕さんがみた、「日々良くしようと努める」ことや「あきらめない」こと、そして「ここまでやるのか」というところまでやりきった上にあること。

とても印象に残るインタビューで、僕自身も、物事を伝える編集者の「入り口」に立ちたいと、改めて思いました。

料理を食べて作った人を思い浮かべる

せっかくなので、今回は、自分で自分に質問をしてみようと思います。

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「あなたにとって、『おいしい』を伝えるとはどういうことですか?」

僕は、「おいしい」は概念なので、食べた人が決めるべきだと思います。

その上で、僕は、僕の編集したり、書いたり、ツイートしたたものを見た人が、料理を食べたときに、作った人の顔を思い浮かべるようになってくれたらいいと思っています。

思い浮かべたときに、「どんな思いで作ったのかな?」とか、「どんな料理をこれまで食べるとこんな料理になるんだろう?」とか、「どうしてシェフはこの味の構成にしたんだろう?」など、どんなことを考えていてもいいんです。

料理の先には、作った人がいることを、食べたときに思い浮かべてくれれば、それでいいんです。

僕にとって、「おいしい」を伝えるということは、「この味はどこからきたんだろう?」っていうおいしいの意味を、一瞬でも考えてもらうことだと思っています。

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ということで、花渕さんのインタビュー、ぜひお読みください〜

花渕さんのオフィシャルサイトです。

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