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Food|食べることで見える風景

食の未来を、美術史になぞらえながら考えていくことをライフワーク的にしているなかで、一般的に「なぜ食の未来を美術史になぞらえる必要」がどこにあるのか、がなかなか見いだせずにいたのだが、おぼろげながらそれが見えてきたので、メモ的に書いておこうと思う。

食がもつ広大なフィールドが見えなくなってきている

食べるという行為には、さまざまな文脈がある。ヒトが狩猟民族から農耕民族に変わり定住をしたことで、文明が生まれたことからも、食べ物が文明を生んだといってもいい。

家族や社会の定義も、食べ物を採る(または獲る)人、それを調理する人が生まれたことで、弱者と強者が生まれたともいえる。また、食卓が生まれたことで言語によって家族や社会といったコミュニティーも生まれた。

食材を加熱調理をすることで食べ物が消化しやすくなり、腸が短くなったことで人体の構造がかわり、二足歩行を容易にさせたという一面もある。

より豊かな土地を目指してヒトは移動し、時には食べ物の奪い合いが戦争にまで発展することがあった。

人間は、食べることで未来を作ってきたことになる。「You Are What You Eat(あなたの体はあなたが食べたもので作られている)」というが、こういった歴史を踏まえて考えを進めておくと、食は「Our future is what you eat(私たちの未来はあなたが食べるものでできている)」ということもいえるのではないだろう。

しかし現在は、孤食が進み食のコミュニケーションが希薄になってきた。とくにコロナ禍においては、ヒトが未来を作ってきた「食卓」の場が失われ、未来を作る場がなくなってしまった。「ヒトが問うやって生きてきたか」「食べることで未来をつくってきた」を思い出す機会を失いかけているといえるだろう。

「見えないものを形にする」ことがアート

Our future is what you eat」をより強く実感していくためには、美術史を見ていくこと、もっというと「アートが行ってきたこと」を見ていくことが大きな意味を持つのではないかと考えている。

アートとは何か」。これには、多くの人がさまざまな答えを出していると思うが、今のところ僕なりの答えは、「見えないもとをかたちにする」ことだと考えている。

とくにこれは絵画や彫刻のような、造形芸術があらわす”かたち”だけでなく、文学や詩が扱う文字であった、演劇のような空間だったり、さらにはダンスやスポーツ、デジタルアートなどもにもそれが言える。

さらに、見えないものの定義も幅広く、人間がもつ希望だったり、妬みのような感情だったり、人類の歴史であったり、自然界の真理といったことも含まれるだろう。

そういう「見えないものをかたちにする」アートのなかに、残念ながら食はいまのところ少ない。

この食材はどこそこから来た」とか「この調理法はこうで」「このレシピにはこんな歴史があって」というストーリーを付けることができても、その先にある「見えないもの」、たとえばヒトが洞穴で会話をしていた場面を食を通して見えたり、100年後に私たちの食卓の風景をかたちにしているものを見ることはほとんどない。

それは「食べる」という行為が、生きるためのエネルギー摂取に由来したり、情動に由来したりする、いわゆる理性よりも欲求の優位性が高い行為であることも関係してるかもしれない。

しかし、ヒトが欲求で食べるようになったのは、ここ200年くらいのことだ。それまで、多くのヒトは食べることと生きることが非常に近い関係にあった。つまり、「毎日食べることができてよかった」という日々があった。

そのなかで、感じる食とはどんなものだったのだろうか。

そうした人類が乗り越えてきた風景を食は内包している。そして、そのことを現代に伝えながら、食と生きることを実感させるような食事は「アート」であり、「食べることで未来をつくってきた」ことを思い出させることになるのではないだろうか。

食はアートになる必要がある

ヒトは、決して地球の覇者ではない。現実に、太古の世界で何十万年もの間最強の生物とされていたマンモスですら絶滅してしまった。

ヒトの歴史は、およそ4万年。マンモスのように絶滅してしまう可能性もある。現に、ホモサピエンスである私たちの親類にあたるネアンデルタール人などは、おなじようにヒト属でありながら絶滅してしまったものもある。

そのなかで地球は変わらず存在していることを考えると、ヒトと自然の関係は、どうみえるだろう。自然をコントロールしきることなどできるのだろうか。その警告が、今回のコロナなのではないかとすら考えてしまう。

「食」はそういった現代社会のなかで、自然や人類の成り立ちなどを伝える、現代に形作ることができるものでもあると思う。そのことは、この先より物質から離れていくであろう人類によって忘れられないものに触れる行為になるはずだ。エネルギーだけを体に入れて効率よく生きていくことを人間は選んだとしても、人間がどこからきたのかを知り続けていくことはとても重要な意味がある。

その景色を見せる存在として食があり続けるためにも。食はアートになる必要があると思うのだ。

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明日は「note」。気になったnoteを1本紹介します。

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