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Life|僕はこっちを伝えるので、ほかはあなたがお願いします

2月7日の午後、仕事を終え、北陸新幹線に乗って長野へ。3日間行われる「アップルライン復興プロジェクト×#CookForJapanコラボディナー」に、料理するわけでもないし、サービスするわけでもないのに行ってきた。呼ばれてないから、もちろん交通費・宿泊費は自分持ち。

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そこまでしてどうしていくのか?

実際に長野に行くことで、「アップルライン復興プロジェクト」だったり、「#CookForJapan」にかかわる人たちが、2019年の台風19号からの被災復興にどういう思いで携わっているのか、しっかり聞いて記事を書いてみたい。そして、被災地をしっかり見てみたい。そんな思いもあったからだ。

コラボディナーに参加したシェフたち、神谷隆幸さん、関口幸秀さん、梅田正克さん、野田一寿さんへのインタビューや、フルプロ農園の4代目で、「アップルライン復興プロジェクト」の代表でもある徳永虎千代さん、会場を提供くださった「オステリア・ガット」を運営するの坂城葡萄酒醸造株式会社成澤篤人さんに話を聞いた。

日中は、千曲川堤防が決壊した長沼地区、そしてフルプロ農園のリンゴ園も見させてもらうことができた。

そうした取材の内容は、今後開設する「#CookForJapan マガジン」でしっかり記事にしたいと思っているので、楽しみにしてもらえると嬉しい。今日は、おそらくそのなかでは書かないであろう、個人的な思いをまとめておきたいと思う。

長野の被災地をどうしても目にしておきたかった

#CookForJapan」のメンバーとして、「#被災地農家応援レシピ」を中心にした、被災地の応援をしている一方で、じつは、長野だけを応援していくのには、少し抵抗があった。

やっぱり、同年には僕の地元でもある千葉県が台風18、19号で被災している。2018年を見ても、愛媛や和歌山・近畿地方が災害に遭っている。2016年の熊本地震や2011年の東日本大震災だって、復興が終わったわけじゃないじゃない。応援するところは、たくさんあるなかで、一つの地域だけになってしまうことを躊躇していたところが、僕にはある。

そんな、どうも自分のなかで釈然としない思いのなかで、「一般社団法人CookForJapan」の設立や、コラボディナーを迎え、自分のなかで焦りがあった。「被災地の状況を実際に見ることができれば、何か考えることができるのではないか」そんな思いがあったのは事実だ。

2月8日、コラボディナー2日目の午前中、前日のディナーに参加していたカステリーナグループの総料理長、関口幸秀さんと、決壊した千曲川の堤防へ向かった。案内してくれたのは、朝日新聞長野総局の記者、田中奏子さんだ。

2月3日に横浜で行った「一般社団法人CookForJapan」の設立記者会見に、長野県からわざわざ来てくださった田中さんに、僕が「できれば、来週長野に行くので、被災地を見に連れていってもらえませんでしょうか」とむちゃなお願いをしたのを、田中さんが引き受けてくれたのだ。

静かな世界に響く聞きなれない音

JR長野駅から北東に車で20分ほど。千曲川の流域に中州ができ、急に川幅が広くなるような地形の右岸が、長沼地区である。中州の手前(上流)、守田神社付近の堤防が、2019年10月13日朝に決壊した。

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最大で3メートルほどの水位になった場所もあったという。その跡は、周辺の家の壁についた泥でも確認することができる。

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収穫されずに朽ちてしまった実をつけたままのリンゴの木や、地面に落ちて一か所に集められたリンゴが、今もいたるところにある。近づくと甘いリンゴの香りがする。こうした被災したリンゴの木は、ふたたび収穫することはできず、植え替えることになるという。

決壊からおよそ3カ月。長沼地区の泥や材木など、あらかたの撤去作業は終わっていた。ボランティアによる作業も、週に1度になっているという。各家庭においてもある程度の片づけが住み、長沼には住まず(住めないため)親戚の家や近くの借家などで生活をしているそうだ。

家が流されたのか、それともリンゴ畑だったのか。どちらにせよ以前の風景を想像することができないような、なんにもない土地が、ぽかんと町のなかに、何か所もできあがっている。

土曜日だというのに、人の気配はほとんど感じられない。ずうっと遠くまで静かな世界が続いている。時折、壁からはがれたとたんが、風にふかれてバタバタと音を立てるくらいだった。夜になると当たりの家の電気が点かず、真っ暗だという。

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長沼地区の家もリンゴの木も、今はただ取り壊されるのを待っている。この地区が元通りになるのに何年かかるんだろうか。そもそも、それをこの地区の住民は望んでいるのだろうか。

どちらにせよ、5年、10年とかかる復興への道を考えると、僕が考えていた全方位的な応援では、1つの被災地にとっては焼け石に水のようなもののような気がした。応援するのであれば、しっかりと変わっていくまで応援し続けないといけない。トタンのきしむ音を聞きながら、そんなことを考えた。

自分ひとりでやっているというおごりを捨てる

帰りの車の中で、田中記者に相談にのってもらった。「復興を目指す地域は、世界中にたくさんあるなかで、目の前のひとつしか伝えることができない事実に、僕は自分を偽善者だと思ってしまうんです。そういう自分をどうコントロールすればいいんでしょうか」と。

田中さんは、「すべてのことを伝えることはできないと思います」と前置きしたうえで、長沼から避難して生活する高齢者の話をしてくれた。

『長沼に再び住みたいといって、地域の復興を目指している人がいることをニュースで知らせてくれてありがとう』といわれたんです。その方にとって意味のあるニュースだったんだなと思いました

新聞記者は、私のほかにもいるんです。だから私はこのニュースを伝えるから、あとのところはほかの記者にお願いします。そう考えながら仕事をしています

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誰かを信じることか。

たしかに、僕はたった一人でやっていると思っていたのかもしれない。もしかしたら、誰かよりもうまく、影響力を強く、そんなことも考えていたかもしれない。そんな自分本位な考えでいながら、しっかりと踏み込まずに応援なんて言っていたのか。覚悟ができていないだけじゃないか。自分を非難されたりすることが怖かっただけなんじゃないか。

そんなことを田中さんの話で考えさせられた。

なぜ長野なんですか」といわれても、「知ってしまったから」という偶然に近いものだ。

それでも、自分が心動かされたものを真摯に受け止めて、それを伝えていこうと思う。そう、ほかにも応援すべき地域や人がいるだろう。でもそれは、きっとほかの誰かが、もしかしたら僕らとは全く違う方法で応援してくれるはずだ。

それでいいのだ。逆にいえば、長野のリンゴ農家のみなさんの復興は僕たちが応援しないといけないのだ。僕は、そう決めた。

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