見出し画像

note|ayatakuboさんのnoteを読んだ

食のライターである、田窪綾さんがお仕事ではなく、ライフワークとして始めた連載が「 #飲食を辞めた人 」です。その第2回目の連載記事が、アップされました。僕自身も、書籍・雑誌編集から軸をずらしたばかりだったので、興味深く読ませてもらいました。

今回は、フランス料理の料理人を辞めて、介護の仕事を始めた山田雄一さん(52歳)のお話です。


記事の内容は、田窪さんのnoteをお読みいただければと思いますが、僕としては、ずっと「飲食業を仕事にする」というのは、ただの方法論にすぎないと思っています。それは僕自身が、雑誌・書籍の編集者をルーツにもちながらも、イベントを企画したり、キッチンカーで売り子をしたり、動画を作ったりということをしているような感じで、編集者の本質を、「いままでにない価値の創出」だととらえているからだと思っています。ですので、イベントも売り子も、動画制作も、雑誌や書籍の編集から見たら「方法」は違いますが、「いままでにない価値の創出」という編集者の本質で考えてみると、それほど変わっていないという気持ちです。

おそらく、飲食業を辞めた人でも、「飲食業の本質」、つまり働くことのモチベーションという意味なのですが、その部分では大きく変わらないのではないかな、と思っています。逆にいえば、この連載から、儲かるとか、働き方だとかとはちょっと違う、「飲食業の本質」みたいのが見えてきそうな気がして、とても楽しみにしています。

その点で、今回の山田さんも、介護の世界では、汚物の処理など、積極的にやりたくはない仕事もあることを聞かされてときに、飲食での経験を話しています。

「不安はなかったです。汚物の片付けもあるよって面接時にも念を押されたんですが、全然平気ですって伝えました。逆に『料理をキレイな仕事だと思ったら大間違いです』って。料理の仕事も排水溝を掃除したり、腐ったものを片づけたりと、キレイな部分と紙一重じゃないですか。今も実際おむつ交換とかしますけど、最初から抵抗なくできていますね。締めたての鴨の羽根をむしったり、長期休みで忘れていた炊飯釜を開けたりした時の方が衝撃でしたよ」

また、飲食店での経験ということではこんなことも。

「飲食の仕事も、料理するまでの間に色々な雑用に支えられています。下っ端の時はシェフの動きを見ながら自分がどう動くべきかを考えていたし、料理長になったら同時進行の調理をしながら、スタッフの動きや全体の流れを見て仕事していました。今は高齢者への視点や、看護師が求める動きに応えています。飲食で培ったことが活かされているのかもしれませんね」

インタビューを通じて感じたのは、山田さんは、やっぱり誰かの生活の質を上げるようなことをされたい方なのかなと思いました。

料理もある意味で、食べた方の生活の質があがっていくし、「おいしかった」みたな言葉も、リアルに利用者から聞けるし、逆に、「こちらこそありがとうございます」だったり、「今日はどんな調子ですか?」みたいなことも聞ける、自分のサービスと、それを受ける人との距離の近さは、飲食業と介護業の間で共通点のような気もします。

とうぜん、飲食業に携わる方すべてが、ユーザーとの接点や距離の近さを「本質」だとは考えていないと思いますが、今回の山田さんについては、そのあたりにあるような気がします。

フランスでの充実した日々も、コミュニケーションが円滑にとれていたからのようですし、山田さんにとっては、人とのつながりが、人生のテーマのように感じます。

もしそうであれば、別段飲食業にこだわる必要はないし、実際にそうだったように、介護のお仕事でも十分にやりがいと仕事を突き詰めようとする意欲が溢れてくるように感じます。

終身雇用の時代がもう完全に崩れた今、職を変えるという意味での転職は、まったく社会的なマイナスではないと思うし、むしろ、AIなどの導入によってこれからなくなっていく職業も出てくるはずです。

「飲食でないといけない」みたいに、いつまでも方法論に固執するのではなく、スキルの点では勉強を十分にしなければいけないとは思いますが、「飲食で得ていた歓びと同じ歓びを得られる職業に思い切って飛び込んでみる」ということもぜんぜんありなんではないでしょうか。

そういう転職の時代を生きる方々にとっても、「 #飲食を辞めた人 」の連載はとても意味のあることのように思っています。

ーーーーーー

明日のnoteは「Rock」です。オアシスの《モーニング・グローリー》を元に、90年代という時代の音について。

料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!