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Art|エドゥアール・マネ《オランピア》「自分の目」をもつこと

エドゥアール・マネは、印象派の父と呼ばれています。あくまで「」であり、モネやルノワールといった印象派の画家たちと非常に近い存在として活動しましたが、けっして印象派のメンバーに加わることはありませんでした。

ここでいう印象派のメンバーというのは、1974年から不定期で始まったグループ展「印象派展」に参加しているかどうかがポイントになります。モネとは8歳、ルノワールとは9歳年上だったこともあり、印象派展が開かれるころにはすでに前衛画家として知られていたことも不参加の理由ではありますが、それ以上にマネは国主催の公募展「サロン」での評価にこだわりました。

印象派のメンバーも当初はサロンでの評価を目指して作品を出品していましたが、その前衛性によって落選が続いていました。そのことにしびれをきらして、自分たちでグループ展を企画したのが印象派展です。これに対して、マネはかたくなにサロンという戦場を選び、徹底して権威に立ち向かっています。

中世から近世では描かれなかったマイノリティの存在

近代絵画の出発点を、17世紀スペインの画家、ベラスケスにまで遡ろうとする意見もあれば、マネも賞賛している19世紀初めのロマン主義の画家、ドラクロワとする意見もあります。一般的には、マネが影響を与えた印象派を近代絵画の誕生とする意見が有力です。

そもそも近代絵画とはなんでしょうか。一般的には市民社会をテーマにした絵画とされています。それでは近代以前、つまり近世絵画と呼ばれるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった巨匠が活躍したルネサンスから印象派以前まで、15世紀から19世紀までを言います。

一般的には人間主義といわれていて、近世の前、中世美術がキリスト教が中心となって神を崇めるために意匠化されていったことへの、ある種の反道どして起こった美術運動とされています。

わかりやすくいうと、「人間らしい姿こそ美しい」という価値観で、描かれているのは神話やキリスト教の物語でも、まるで実物の人間のようなリアルさで描いていることが特徴でした。この時期に、遠近法や細密画の技法が発明・体系化されて、産業化していきます。

しかし、いくら人間らしい姿を描いても、しょせん物語のなかの登場人物であり、肖像画というジャンルもありましたが、それはお金持ちしかゆるされないもの。世界のごくごく一部の出来事しか描かれることはありませんでした。

そうしたなかで、17世紀スペインの宮廷画家だったベラスケスが、それまで描かれる対象にならなかった宮廷の使用人などのマイノリティを描いたという点で、革新的だったとされています。教会や王侯貴族といった権力側ではなく、市民社会を描いたという点でいえば、フェルメールに代表される17世紀オランダ絵画にもみることができます。

僕自身の近代絵画を、中世以降続いたキリスト教社会の大きな仕組みの外側をテーマにしているということだと考えているので、ベラスケスもフェルメールも、近代絵画の萌芽を見ることはできると思います。

中世の中に近世の萌芽があり、近世の中で近代の萌芽をみることができるのは、そのように見えるように歴史という道筋を後の人間たちが作ったということもあるのですが、やはり芸術家たちが常に追い求めたその時代の様式への反発であり(それを前衛とよぶ)、文化とよばれるものの所以だと思います。

マネが提示した「自分の目」をもつこと

1865年、マネは国家主催のサロンに《オランピア》という作品を出展します。裸でベッドに横たわる裸の女性の姿は、「実物の裸の女性を描くなんてなにごとだ!」と一大スキャンダルを起こします。「え、女性の裸を描いた絵は、ティツィアーノやルーベンスも描いてるじゃないですか?」と思う方もいらっしゃると思います。

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エドゥアール・マネ《オランピア
1863年 オルセー美術館蔵

じっさい、マネが《オランピア》の元ネタにしたティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》も裸でベッドに横たわる女性です。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ウルビーノのヴィーナス
1538年 ウフィツィ美術館

なぜ、ティツィアーノの絵は名画で、マネの絵はダメだったのでしょうか。

それは、ティツィアーノはあくまでヴィーナスというローマ神話の女神であり、実在しない架空の存在を描いているという「建前」がこの裸体画を成り立たせています。

しかし、マネが描いたのは、サンダルを履いて黒人の使用人を従えた裸の女性。さらに「オランピア」という名前自体が当時の娼婦の源氏名の代表的なものだったこともあり、観衆は即座にこの絵が現実の娼婦であることに気が付くのです。

現代の感覚で言えば、いわゆる映画などの作品中の裸体は作品の一部とされ「美」ととらえられますが、エロ本のように直接的な裸体はいまだに(当たり前だけど)規制がありますからね。映画コンクールにポルノ映画が出品されたら、それは怒る人も多いでしょう(ポルノ映画がいいとか悪いとかは別として)。

ここで大事なのは、マネが現実の裸の女性を描いたことがすごい、というわけでは僕はないと思っています。ポイントは、社会への視線です。

マネが活動した19世紀中頃のパリは、世界屈指の大都市でした。産業革命によって市街が近代都市に整備され、一見美しく生まれ変わったように見えました。その一方で郊外から労働者が入り込み、街の秩序は乱れ、貧困、犯罪、公衆衛生の低下など、さまざまな問題を抱えていたのです。

そうしたなかで、国家が推奨する神話やキリスト教の世界といった「夢物語」を描くことの無意味さ虚無さをマネは痛烈に実感していたと思います。

つまりマネは、美しいものだけでをフレームに収めようとすることを嫌い、「自分の目」で見た現実を描こうとしたのです。

こうした「自分の目」をもつことは、後の印象派に受け継がれました。揺れ動く光をそのまま描こうとしたり、カフェやレジャーなどの市民生活を描いたり、近代の生活、つまり市民の生活に「自分の目」を向けるきっかけになったのです。

そのため、マネは「印象派の父」と呼ばれています。

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次回予告
明日は予定を変更して「Interview」の企画で、コロナ禍でインタビューしていたsioの鳥羽周作さんのインタビューを2回にわたって投稿します。おたのしみに!




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