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Human|クリエイターは肩書で人を見ない

伊勢市クリエイターズ・ワーケーションに参加し、12日間、267時間の滞在を終え、東京に帰ってきました。

帰ったとたん、後回しにしていた仕事一気に襲ってきて、一日中PCの前にいて、一歩も外に出なかった。毎日外に出かけていた伊勢の時間がなんだったのか。でも、今朝はやっぱり早起きになって、5時に目が覚めてしまった(けっきょく二度寝して6時半に起きたけど)。

伊勢では、同時期にクリエイターズ・ワーケーションに参加されていたクリエイターの方々にお会いすることができて、みなさん自分だけの表現方法を持つ、文字通りのクリエイターで、自分の手先から造形物を作れない僕はその仲間に入れてもらうのも恥ずかしいくらい、圧倒的な創作力をもつ方々だった。

肩書ではなく見るのは目の前の人

クリエイターの方々とお会いして一番感じたのは、肩書で人を見ないということである。

社会的にも認められたクリエイターの方々にとって、初めて会って何をしているのかわからないような男に、きちんと挨拶など普通はしてくれないのに、名刺をいただき、手まで差し出してくれる。

さらに僕なんて、あとからその人のことを調べて「うわ~すげー方だったんじゃん!」なんて思って恐縮してても、DMやmessengerでご連絡をくださる。なんということだ、これはもう、僕には理解がおよびません。

もちろん、伊勢市が選んだクリエイターなのだから敬意をもって接してくれていると思うのですが、それを差っ引いても、みなさん目の前の人を見ようとしているし、話していることを見ている。

ここにクリエイターの本質があるのではないかと思うのです。

自分だけの表現方法を確立しているクリエイター

クリエイターの本質とは何か。それは、自分だけの表現方法を確立しているということです。今回お会いした方々は、西中千人さんは、廃棄されたガラス瓶を材料にしたガラス造形作家さんですし、滞在中に何度もお会いした金子未弥さんは、脈絡のないマップのポイントから造形を生み出しています。メディアアーティストの市原えつこさんは、デジタルシャーマニズムという誰にも侵食されないテーマを持っている。

染師の川端康夫さんは僕たちのためにランチョンマットを外宮の色で染めてくれたり、イラストレーターの斉藤知子さんは、仕込みの時間にきて、その時間をスケッチをしていきました。

みなさん自由闊達に感じたこと見たことを形にする自分だけの術をもっている、つまり誰とも比べる必要のないアウトプットの方法を持っていることが共通しているように思います。

肩書で人を見るということは、自分よりも上なのか下なのかで見ている、自分と相手を比べているからだと思うのです。そういう点で、伊勢でお会いしたクリエイターのみなさんは、自分と他人をぜったいに比べない。そもそも人と比べるという発想があれば、唯一無二の表現にたどり着くことなんてできない、クリエイターになんてなればいはずです。

レストラン・コンセプト・クリエイターは長いか

そう気づいたときに、真っ先に思ったのが、自分はクリエイターなのかということ。

自分だけの唯一無二の表現方法があるのか。もしあるとすれば、レストランを通した表現なのかな、と伊勢での時間を通して感じました。

もちろんレストランはシェフやサービス、お客様によって生まれるものですが、そこで生まれたものが僕の表現になったとしたら、僕は自分をクリエイターと名乗っていいかもしれません。

そう思うと、ポップアップレストラン「MIKASHIKI 御炊」は、伊勢神宮の神事をレストランを通じて表現するということだったので、少しはクリエイターの真似事のようなことはできたかもしれません。

ちょっと矛盾してますが、一方で何をしているのかがわかりやすい肩書は必要かなとも思ったり。

自分の場合「レストラン・コンセプト・クリエイター」みたいなことだろうか。

編集者やライターとしての実務的な仕事の他に、そんな肩書を名乗ってもいいかもしれないな、と感じた伊勢滞在でした。

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