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note|関口あさみさんのnoteを読んだ

毎週気になったり、考えさせられたnoteを紹介していく土曜日。今週は、「感性」について考えるきっかけになった、関口あさみさんのnoteを紹介します。

感性が「何か」に馴染んでしまうこと

関口さんは、茨木のりこ氏の詩を引用しながら、創作物の反応の数で自分の感性を測らないようして、作ること、伝えることを大切にしよう、と言います。

たしかに、note のスキや、Twitterのいいねはこうすれば増えます、という情報はものすごく溢れていて、それらはおそらく一定の効果があるんじゃないかなと思います。

しかし、その方法をやっていくと、どうしても同じような発言や発想になってしまって、感性が「何かすでにあるものっぽい」ものに同化していってしまうように思っています。

実は僕自身、昨年、年内にTwitterのフォロワーさんを1000人にすることを目指していたので、そう言った数を増やすツイートを意識的にやっていました。僕がやったのは、地味だけど「誰かのために役に立つ」ことを発信すること。僕のように、何者でもない人間にとっては、これが一番効果ある方法だったと思います。

そのおかげでなんとか目標を達成できたのですが、一方でこのまま続けていくと、どうもライフハックのようなことばかりツイートすることになるのに気づき、誰かが決めた土俵で戦いたくない、というような感覚が生まれたのです。

それから、増やすことを目的にすることをやめました。

あくまで方法ではなく、本質的に求めることを考える。「何かっぽい感じ」から、一歩距離をおきたいと思ったのです。なので関口さんの数で感性を測ると、感性が鈍るというのは、とてもよくわかるし、自分もそうし数を何かの目的にすることは、一定の経験をしてみて、自分にはあわないな、と思うものでした。

X=0,Y=0をどこに置くかは、数から判断する

僕の中で数を求めないことは、「誰も価値を見出していないことに価値を見出したい」、という編集者としての感覚が関係してるんじゃないかと思っています。

僕自身も多数のなかに馴染むことはどうも心地よくなく、いつも自分だけの視点を見つけようとキョロキョロしています。それはもう一方で、キョロキョロ周りをみていて、多くの人の行動を見たり、数をめざす広告は何を題材にしているのか見たり、「一般」(本当はそんなものはないのですが)を求めていたりします。

僕としては、振り切って独自性を求めるアーティストのような立ち位置よりも、社会との距離感を保ちながら、ちょこっとだけその外側にいるような立ち位置が好きです。

客観的に見ると、なんか斜に構えてカッコつけてダサいなって思うんますが、どうやらそうしないとどうもダメな性格みたいなんで、それはそれで自分では諦めてしまっています。

もし、自分に感性というものがあるとすれば、「社会との距離感を敏感にはかる」ことだと思います。その感性を磨くためには、数(一般性)を理解する必要がある。なぜかというと、自分の位置を決めるまえに、社会の中心、X軸とY軸の0ポイントを設定する必要があるからです。社会をX=0,Y=0にした場合、僕自身をどこにプロットしていくのか。その適度な0からの距離感、僕にとっての心地よさを目指しているという感じです。

年齢は何かの意味があるのか

先日、「30歳に独立したいんですが、それまでに何をすべきでしょか?」という相談を受けました。

学校教育は、1年でみんな同じ教育課程を受けて、同じほぼ年齢で社会に出ていきます。

たとえば「荒れる成人式」(最近は見なくなりましたよね)を見ていると、20年をどう生きてきたかは、けっこう如実にあらわれていて、成人式を大人になったことを祝う式典にするのはちょっと無理があるんじゃないかと思うんです。つまり、法律で決められた「大人」は、すべての人にとって「大人」になれる時間ではないんじゃないかと。

けっきょく「大人ってなんだ?」という議論なんですが、僕が考える概念としての「大人」は、「自分の物差しをもって社会を見れること」だと思ったりすと、40歳を過ぎて大人になれた気がするし、最低限の責任を得るという意味では、給料を得たことが「大人」な気がする。

それぞれが所属する社会や個人の成長によって、いつ大人になったのか、は変わってくるのに、一律に20歳で大人になったとするのは、個々の20年間の成長を多様に認めてあげることも難しくなると思うんです。20歳にしては大人だね、とか、まだ20歳には早い、みたいな評価が生まれてきてしまいます。

先の若い料理人が「30歳」を独立の目安にしていたのも、30歳になったら、急に何かが変わるわけではなく、30歳は、あくまでゆるやかな時間の流れのある一瞬です。であれば、30歳までに独立、ではなくて、これを満足にできるようになったら独立しよう、と決めた方がいいのではなかと思っています。

ただ、一方で、職人的な人は、いつまでたっても「自分は未熟だ」と考えてしまいがちなので、時間のリミットは必要な場面もあります。

しかし、そうであっても、自分の価値観を持つことを「感性」と呼ぶのであれば、やっぱり、時間的、数量的な評価ではなく、自分の物差しをもつために努力して、それがクリアできたかどうかを自分で判断できることを目指した方がいいと思っています。

関口さんが言うように、数字だけを追うのではなく、自分の感性を守るためにも、自分が決める基準をもつこと。そういう基準が、オリジナリティに繋がっていくのではないでしょうか。

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