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note|deburockさんのnoteを読んだ

使えないグルメガイドって何なんだろう? そんな気持ちで読み進めたdeburockさんのnoteは、1973年、今から47年前に刊行された、グルメ本 『続 東京の味 ヤングのムードと味覚の店』(石倉豊、桜井華子共著、保育社)の紹介です。

続 東京の味 ヤングのムードと味覚の店』というと、現在40代から30代の人たちにとっての「昭和臭」の強い書名だなぁ、なんて思うと思うのですが、それより下の世代にとっては、もはや昭和臭すら嗅ぎ分けることができず、素通りしてしまうタイトルかもしれません。

この本には、今では当たり前すぎるサラダやドーナツ、ハンバーガー、フライドチキンといったものが当時の最新トレンドのように紹介されているそうです。ピラフやポトフなどヨーロッパの料理も紹介されていますが、どちらかというとアメリカの大量調理・大量消費のファーストフードが多いことに気づかされます。deburockさんによるセレクトなので、じっさいは異なるのかもしれませんが。。。

ヨーロッパではあまり、生野菜を食べないのは知っていましたが、どこから来た文化であるかは知らずにいました。『続 東京の味 ヤングのムードと味覚の店』によると、どうやら1970年代くらいに突如日本に現れたもののようで、ハンバーガーなどと共にアメリカから入ってきたものかもしれないな、とちょっと思いました。今度調べてみよう。

SNSによってさまざまな国の文化や言葉が行き交うようになって、それまでのローカルなものと、グローバルなものの境目がわからなく、すべてが混ざり合ってしまって、その状態にずいぶん前から自分が存在しているように感じたり、誰かの何かがまるで自分のもののように感じてしまうことがあるように感じています。

それのひとつの例が、作品の登用だったり、サービスの盗用だったりするんじゃないかなぁ。

また、すべてがグローバルに繋がっていると思い込んでしまって、個別のルールや規制がありながらも、そこを飛び越えて比較して優越をつけようとするのも、例えばコロナ禍の対応を各国が批判しあったり、日本はどうしてヨーロッパ並みの対応ができないのか、というような指摘が生まれる要因になっているように感じてしまう。

そういったそれぞれのローカルに根差した考え方や方法があることは当然なので、それ自体の主義や主張を否定しあうのではなく、尊重することはできないものなのかなぁと、考えています。

「書き残すこと」歴史は後世の人が作るもの

そんななかで、『続 東京の味 ヤングのムードと味覚の店』のように、時代が変わっていく瞬間を留めおくことは、食の書籍として別の役割を担うことになるのかもしれませんね。

悪いたとえかもしれませんが、戦争にいったお年寄りが「兵役」という役目から、歳を重ねたことで「証言者」になりえたように、この『続 東京の味 ヤングのムードと味覚の店』も本来のレストランガイドとしては役に立たなくなっても、証言者としてその存在を残し続けたように。

目の前のことを書き残す」ということも、ひとつ重要なことなのかもしれません。

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明日の予定

明日のテーマは「Rock」です。レッド・ツェッペリン《レッド・ツェッペリンⅡ》について。最後のスーパーバンドについてです。

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