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Huaman|森博幸さんとClubhouseでお話ししました

トップ画像は森博幸さんのTwitterのスクショ画像です。

日本画のアーティストである森博幸さんと、毎朝7時からやっているClubhouseの #ラジオ江六前 でお話をしました。

お話してみたいなぁと思ったのは森さんが毎日書かれている「日課ジャーマン」という取り組み。

毎日このようなジャーマンスープレックスの絵を描き続けていることにすごく興味をもったのでした。

聞きたかったことは以下の3つです。

①上達が目的ではないであろう取り組みになにを感じているのか。
②毎日書くことで見えてくることは。
③いつ、どこで、どれくらいの時間をかけて描いているのか。

上達が目的ではないであろう取り組みに
なにを感じているのか

話を聞いてみるとジャーマンスープレックスのイラストを描いたときに、うまく描けなかったことがきっかけで同じ型を始めたそうです。

続けていくうちに、源実朝(頼朝次男、鎌倉幕府三代将軍)が、伝・実朝筆ではありますが「日課観音図」というのを残していること知ったことを知り、日課ジャーマンの企画が生まれたそうです。

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現在は、第一幕の108日分(1セット)を終え、今は第二幕の2セット目に突入しています。

108枚をまとめると、厚さ10センチにもならないそうで、完成したものは和紙にくるんで保管しているそうです。これをどういう形で発表していくかは未定だそうですが、108枚揃った世界というのはそれは特別な空気になりそうです。

そのなかで、108枚を続けてみての感想を聞くと「数は力」という答えが返ってきたのが印象的でした。僕も同様にたとえばこのnoteを毎日書いて、それこそ1年7カ月が過ぎましたが、その数とはどこか違うというか、重みが違うように感じました。いうならば「質量のある数」というか。

やはり物質的なものの数は、力になるのかもしれないと、「数は力」という言葉にぞくっとしました。

毎日書くことで見えてくることは

こちらについても面白いお話を聞けました。

このイラストは、鉛筆書きの下絵の上に薄い和紙をのせ、透けて見えた下書きを筆でなぞっていく方法をとっています。

描いていくと、線の太さや筆の運び、ちょっとしたためらいによる墨のにじみなどが生まれるそうですが、その多くは描く自分の心の動きに由来していると言います。さらに、気分によって紙を変えたり、墨の濃さを変えたりもするそうなのですが、それもすべて自分の心次第なわけです。

たとえば写経や写仏の目的に国家安泰のように、他者の救済を目的に納めるような人もいるんですが、それは僕にはできない。自分がぜったいに入ってきてしまう。だから、日課ジャーマンは僕自身のポートレイトなんです

日課ジャーマンのなかに、森さん自身がある。だから僕も日課ジャーマンに惹かれたのでしょう。そう、僕は森さん自身に興味があったのです。

じつは、森さんとお話してみたいなと思ったのの一つに、下のnoteでも少し書いたのですが、アーティストの金子未弥さんのポートレイトの話を書いているのですが、自分自身の肖像の制作として形や色で僕自身の輪郭を写し取るのではない、ポートレイトを制作してみたいと思っていたんです。

それは、何か同じ物体、たとえばセザンヌのようにデッサン用の彫像の写真を撮り続けることとか、24小節のブルースを毎日演奏してみるかなどをふと考えたときに、日課ジャーマンを見かけて「僕がやろうと思っていたことだ」と思い、制作している森さんがどんなことを考えて続けているのかを知りたいと思ったのがきっかけです。

もちろん森さんは、日本画家ですのである意味本業を続けるということなので、僕の素人的な写真やギター演奏とは違う(上達が目的になってしまう)のですが、それでもやはり、森さん自身が日課ジャーマンを「肖像」と言われていたのは、すごく納得できたし、同じというにはおこがましいですが、通じるものを感じました。

いつ、どこで、どれくらいの時間を
かけて描いているのか

平日は20時、休日は朝描くことが多いそうです。制作するのは、ご自宅の創作部屋で、一人で行っています。平日は、食事も終わり、文字通りその日を振り返って描くそうで、そこもまた自分との向き合いの時間になっているんですね。

制作は、準備から片付けまで含めて1時間。道具は、ひとまとめにして、始めやすいように工夫をしているそうです。

日課ジャーマンは、どこか修行のようなイメージがあったので、朝の行としてやってらっしゃるのかなと思ったのですが、意外と日記的なもので、そこは意外でした。

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そういう意味では、たぶん多くの人が「なんで日本画とプロレス?」と思うと思うのですが、僕は、それほど詳しくは聞かなかったかもなぁ。

日本画と呼ばれるものは、今でこそ伝統的なものになっていますが、描かれた当時は流行にかなり左右されたもので、その時期の風俗性が色濃いものだったんじゃないかと思います。

そう思うと、現代日本画としてプロレスを扱うのはなんら違和感はないし、プロレス(の技)を「」や「デザイン」と捉えているあたりも、本質をついていながら、ちょっとした皮肉も利いていて、「だよね」というのが正直なところなので、お話ではあまり深くは聞かなかったんだと思います。

どちらにせよ、Clubhouseなりnoteなりの取り組みを通じて初めて知り合えた方と、1時間も楽しくお話できたことと、自分の活動や取り組みにプラスになるような発見をいただけたことは、とてもよかったなと思っています。

森さん、本当にありがとうございました。

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ちなみに、8月6日から、森さんも参加するグループ展が四谷三丁目のギャラリーで行われます。ご興味がある方、ぜひ見に行ってみてくださいませ。僕もぜったいに行こうっと!

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明日は、今週気になった「note」のことを書きますね。

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