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note|urumikaさんのnoteを読んだ

東京の桜が散り出しました。過ぎ去ろうとする春への淋しさを紛らわすかのように、新しい芽吹きのあざやかなグリーンが、目の奥にある脳の底を心地よい痛みとともに刺激します。

季節は、過ぎていく。季節は、やってくる。

不自由な日々のなかでも、自然はかわらず僕たちを、グイグイと突き動かそうとする。当たり前だけど、次の季節はやってきて、今の季節は終わる。そんなことに、前を、上を向かせてもらっています。

結果が出なくても続けられること

そんなちょっとセンチメンタルな気持ちのなか、urumikaさんのnoteを読んで、「ああやってみたいなぁ」と思わされました。それは「盆栽」です。

盆栽は四季を通じて変化を見せてくれる。けれども一番わくわくするのは、やっぱり春から初夏にかけて。
ちょうど今頃なのです。

あー、うらやましいなぁ。この寂しい春に、小さな生命の動きを毎日見ることができるなんて。

でもどうやら3年間、ずっと手入れをし続けて、この春を迎えたということ。ああ、僕なんてダメだ。ちょっとやりたくて、天然酵母のパン作りを2年くらい前にやってたんだけど、今は途絶えてしまって続けられてない。

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毎日、瓶をふって、開けて、暖かいところに置くということができないのだ。しかも、運よく酵母がシュワシュワとなっても、うまくパンが焼けないことが続いたこともあって、けっきょく酵母づくりもパン作りも、続けられなくなってしまった。

どうやら、結果が見えないと、飽きてしまう男なのだ。

植活は、観察する楽しみが続けられる楽しみかも

結果が出ないことを続けることは、とても難しい。ダイエットも、リバウンドしだしたり、停滞期になると、どうも高い意識を維持していくのが難しい。モチベーションを保つために、パーソナルトレーナーのような存在があればいいのだろうけど。

もう1つurumikaさんのnoteに植活=植物活動について、書かれていた。

盆栽をすすめると、枯らしそうってよく言われます。が、日本の野山にもともと分布していた「山野草」であれば、(ちゃんと土をメンテしていれば)毎朝水をやるだけで元気に育ってくれるものが多いです。
気候が合うってほんとうに大事だ。

urumikaさんのnoteを見ていると、観察することの楽しみを感じているように伝わってくる。そうか、毎日何かを観察し続けることか。

自分で盆栽をすることは、毎日手入れをしていく自信がちょっとないけど、家の周りの木々の観察はできるかもしれない。たとえば、今散ってしまった桜の樹を、1年見続けるとかでもいい。

そうやっていくなかで、植物を観察する楽しみを手に入れることができたら、植活デビューできるかもな。

1年たって続いていたら、ベランダデビューをしよう。来年の桜を楽しみに、名残を楽しみながら。

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