見出し画像

note|木村祥一郎さんのnoteを読んだ

毎週土曜日に更新しているマガジン「note」では、1週間で読んだnoteのなかから心に残ったものを紹介しています。今日は、木村石鹸の木村祥一郎さんの「意味が分からないことは面白くないことなのか?」です。

「伝わった」から「売れる」のか?

編集者としては「伝える」ことが価値の大部分を占めていると思っていたので、「意味が分からないけど面白い」という言われたら、「伝わらなかった」ということを意味しているようで、複雑な気持ちだろうな、というのが読みながらの感想でした。

一方で、「伝わる」のをなぜ重要視しているのかと思うと、「伝わった」というのは「売れる」を同じような感じで考えている自分にも気づくことになります。

雑誌や書籍の編集を職業としてしてきた僕にとっては、媒体の制作意図が伝わらないと、販売結果に繋がらないという想いはあったように思います。しかし、本当に「伝わったから売れたのか」ということは確証をもって断言することはできないのも事実です。

5、6万部の本しか作ったことがない僕にとってみると「伝える」ことは前提だけど、それ以上の世界では、伝わったかどうかは関係ない。むしろ伝わっていることと販売結果は、それほど関係ないということも言えそうです。

それがいわゆる「余白をもたせる」ということなのだと思うのですが、「伝えること」ばかりに目が向きていることは、自分のウィークポイントだったりするのかなと、木村さんの「意味が分からないけど面白い」という話を読んで考えたりしました。

精神的なパンクロッカーでありたいかどうか

自分の経験で「意味が分からないけど面白い」というのでいったら、洋楽かもしれません。

中学2年生から洋楽ばかりを聞いていました。NHK FMの木曜21時から放映されていた元BOΦWYのギタリスト・布袋寅泰さんがDJをしていた「ミュージックスクエア」を聴くようになったのがきっかけなのですが、そこで流れた洋楽に惹かれていきました。

高校生の頃は、バイトでお金を貯めては、渋谷や新宿のタワーレコードや今はなきHMVなどに行って、2、3万円まとめ買いするようなことをしていました。

1990年代のことで、同級生はミスチルやスピッツ、ビジュアル系などを聞いているなかで、The JAMやSPECIALS、エルビス・コステロ、スパークス、ウルトラボックス、カーズといったニューウェーブ系をよく聞いていたと思います。

そこからもっと時代をさかのぼって、デヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズ、イアン・ハンター、モット・ザ・フープル、ラモーンズなどを芋づる式に聞くようになっていくわけです。

聴き進めるなかで、どうやらロックとアートも接点があって、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンドは、アンディ・ウォーホルという画家と一緒にやってるらしいぞ。となって、渋谷のパルコにあった洋書屋に行って画集を買ってみたりしていたものです。

そういったことを意味が分かってやっていたか、というと、やっぱりわかってなかったけど、おもしろいと思ってたよな、と思います。

実際洋楽の歌詞の対訳をまったく読まないで曲だけを聴くタイプだったので、言っていることやメッセージはわからず、表面の音だけを聴いていました。さらに、。それがどういう文脈で生まれたのか、たとえばパンクロックが、階級制度が根強いイギリスで、商業的になり過ぎたハードロックのカウンターカルチャーとして生まれたということは知らないかったですから、当時の自分に「意味がわかってるの?」と聞いたら、わからないと答えたかもしれません(性格上、背伸びして「知ってるよ」と答えた可能性の方が高いですが笑)。

そう考えると「意味が分からないけど面白い」というのは、ある種の素人性というか、無知だからこそ可能な感性というか、あらゆる知性への反抗という意味でのパンクロックの精神に似ている部分もあるような気もします。

つまり、「意味が分からないけど面白い」というのは、精神的なパンクロッカーでありたいかどうかという問いに等しい。

そういう意味では、自分はパンクロッカーであり続けたいと思っています。

ーーーーーーー

明日は、1週間のClubehouseを振り返ります。

料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!