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Work|編集者はいつも何かを探している

編集者をしていると、いつも編集的視点で物事をみてしまいます。

「この看板の置き場所わかりづらいなぁ」

「この報道だと誤解を招きそう」

なんて感じで、見てしまうのはしょっちゅうで、散歩をしていても、前にあった店が閉店していたら、「どうして閉店したんだろう」とか考えたり、店の前に売られているセール品から今のニーズを読み解こうとしたり。

電車の中吊りや壁面広告を見て、トレンドを予測したり。今日も、メトロの渋谷駅の広告がエステのTBC(タレント、ローラさんの)になっていて、今この時期にエステってなぜだろう?って思ったり。

いつもそんなことを考えながら、世の中の動きをみて企画を立てる。そんなことを何十年もやってきています。

24時間、何か企画にならないか考えている

編集者になりたてのころは、お茶の淹れ方も教わりました。おいしく淹れられていたかどうかは別として、きちんとした先生にお茶をお出しする機会がありましたし、すくなくても「きちんとお茶を入れるとは何か?」みたいなことを知らないといけない、という風に教えられてきました。

「編集者は、一生涯やる仕事」という意識があったので、人間力というか、人間の厚みみたいのが編集者の力になってくるという意識で、未知のものについても比較的積極的に飛び込んで勉強しようとしたものです。

たとえば「能」なんかはそのひとつです。いまではなかなか観に行っていないですが、日本の今の文化が室町時代後期にあることをこの年になって、なんとなく理解できるようになったのは、20代末から30代に、ほぼ無理やり当時のオフィスの社長に連れていかれたおかげのように思います。

人生の経験すべてが仕事に活かせるのが編集者のよいところ。自分がいい編集者かどうかはわかりませんが、すくなくとも、「ここからここまで」みたいな、時間で仕事をするのではなく、人生を厚くするために仕事を利用しているみたいな感覚はあるので、いい職業ではあるよなぁと思います。

ですので、「休みはありますか?」と聞かれて答えるのが一番難しい。

散歩に行っても、旅行に行っても、やっぱり「あ、こんな企画できそう」みたいな感じで頭を使っているし、寝る前も、明日書く原稿の構成を考えているので、ずっと仕事をしているようでもある。

しかし、前述したように、そうやって考えること自体は、自分の人生をぶ厚くするものだと思っているので、まったく苦にならないという側面もあります。もちろん、締め切り直前の追い詰められた感じはつらいですけど、そういった納品直前のバタバタはどの業界でもあるので、当たり前かなぁと思ったりします。

そう考えると、24時間、夢のなかまで仕事をしているようでもあるし、仕事が人生だと思えば、生きるのは当たり前なので、仕事という仕事はしていないようにも思う。

時給換算したら、最低賃金以下なんだろうけど、じゃあ自分のいまの仕事のいつ時給が発生するのかと思ったら、仮に机に向かっている時間とか取材している時間で考えたら、時給は5000円くらいになるから、まあぁいいのかなと思ったり。

何がいいたいかというと、なんでしょう。今日はオチもなくてすみまません。

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明日は「note」。今週読んだnoteのなかから1本を紹介いたします。

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