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Art|17世紀末、革命期にプロパガンダに利用された新古典主義の画家ダヴィッド

17世紀中頃になるとフランス絵画はロココの軽薄で官能的な美への反動と、1738年のヘルクラネウム遺跡と1748年のポンペイ遺跡の発掘が始まったこともあいまって、古代ギリシア・ローマ美術への復興へと向かいます。

その代表的な画家とされているのが、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825年)です。ダヴィッドは、26歳の年にあたる1774年に古代ギリシアの《アンティオコスとストラトニケ》で、フランスの王立絵画彫刻アカデミーのコンクールでローマ賞を獲得しました。

ローマ賞の副賞は、国費で実際にイタリアに滞在して現地の美術を取得してくること。この時代においても、イタリアに美の規範があったと考えられていたことは、意外に感じる人もあるかもしれませんね。

1775年にイタリアへ渡ったダヴィッドは、5年間ローマに留学して帰国すると、ルネサンスの巨匠、ラファエロに学び、発掘間もないヘルクラネウムとポンペイの遺跡も訪れて、古代ローマ美術に学んだといいます。

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《ホラティウス兄弟の誓い》
1784年 ルーヴル美術館蔵

ローマと他の都市間の紛争を解決するために決闘に挑むホラティウス三兄弟が国に忠誠を誓っている様子が描かれています。

帰国後は、画家ながらフランス革命に積極的に参加してフランス革命の指導者、マーラーの暗殺の場面を描いた《マーラーの死》を描くことでその死を賞賛したように、プロパガンダ的に絵画が利用されるようになっていきます。

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マーラーの死
1793年 ベルギー王立美術館蔵

ちなみにこの頃から、新古典主義はギリシアの理想的古典主義よりも、ローマの市民道徳や共和的な自由理念の方が、革命に有効であることに気付き、登用するようになります。

フランス革命中、一時急進派の一員として投獄されたこともあり、表舞台から姿を消したダヴィッドでしたが、絵画の政治利用の重要性を熟知していたフランス皇帝ナポレオン1世の主席画家に登用され、皇帝の栄光を描きます。

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ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》 
1805~07年 ルーヴル美術館蔵

ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》は、その最たる作品で、1804年にノートルダム大聖堂で開かれたナポレオンの皇帝即位の儀式を描いたものです。

本来は、ローマ教皇から皇帝の戴冠を受けるべきところを、ナポレオン自ら戴冠するだけでなく、ナポレオンがジョセフィーヌに冠を授けており、カトリックの本拠であるローマ教皇庁よりも、ナポレオン自身の優位性を示すものでした。

フランスが世界の中心である。そんなことを、この絵が語っているのです。

17世紀末、フランス革命期の新古典主義の誕生の理由
☑ 軽薄なロココ美術に対しての反動
☑ ヘルクラネウムとポンペイ遺跡の発見・発掘開始
☑ フランス革命期の急進派のプロパガンダとして利用
☑ ナポレオン皇帝時代でも政治的に利用された
☑ 正確・統制といった作品イメージが革命期に支持された

新古典主義とは話がずれますが、このフランス革命直後の1793年にルーヴル宮殿が美術館として生まれ変わります。ここには、それまでのフランス王家の美術品だけでなく、ナポレオン軍が世界各国から略奪してきた美術品を市民向けに収蔵・展示を始めます。

フランス革命後の、中央集権国家の盤石化に向けて美術館自体が「国家の象徴」として機能し始めた時代ということもできるのではないでしょうか。

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明日は「Food」。「続・フィンガーフード」というテーマで書きます。

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