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Art|スルバラン 《アンティオキアの聖マルガリータ》

開幕が延期になって、再開のめどがたっていないロンドン・ナショナル・ギャラリー展を応援するために、火曜の「Art」では出品作の中から毎週1枚を取り上げて紹介していっています。この企画も今回で19回目(19枚目)になりました。

今回は、ほとんど予備知識のない画家、フランシスコ・デ・スルバラン 《アンティオキアの聖マルガリータ》です。

ドラゴンの腹を裂いて出てきた聖人

絵画を見ていると、「聖~(ほにゃらら)」という人物の肖像画を観ることがあると思います。これらのほとんどは、イエス・キリストの直接的な弟子である使徒や、直接ではないが後にキリスト教を広めた信者や、神の力をうけて奇跡を起こした特別な信者など、キリスト教を熱く信仰し殉職した人たちのことを指しています。

ですので、「聖~」という絵を観る際は、一度その人物を調べてみることをお勧めします。その聖人のプロフィールから絵画を読み解くキーワードを見つけることができるからです。

スルバランの《アンティオキアの聖マルガリータ》もそんな、作品のひとつ。まずは、アンティオキアの聖マルガリータについて、調べてみましょう。

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フランシスコ・デ・スルバラン 《アンティオキアの聖マルガリータ
1630~34年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

キリスト教の原典は、みなさんもよくご存じの聖書になりますが、じつはアンティオキアの聖マルガリータは、そのなかに登場しない人物です。実在したかもわからない聖人なのですが、民間信仰に篤く、キリスト教ではアン・オフィシャルな聖人ながら、ひとく信仰されています。

マルガリータはとても多い名前で、聖人のなかにも同名の人物がいることもあります。これは、前回、前々回に書いたマグダラのマリアが聖母マリアと区別するために、マグダラとつけて表記しますのと同様に、アンティオキアの聖マルガリータも、ハンガリーやスコットランドの聖マルガリータと区別するために、彼女が生まれたとされるアンティオキア(現在のシリアにあったとされる)の地名をつけて呼ばれています。

3~4世紀ころの人物とされるアンティオキアの聖マルガリータは、キリスト教にとっては、異教を信仰する家に生まれたとされています。父は、その異教の祭司だったため、父から離れ羊飼いをしながら暮らしていました。

成長したアンティオキアの聖マルガリータは、アンティオキアの総督(領主レベルの人物)からキリスト教の信仰を捨てることを条件に結婚を申し込まれます。しかし、信仰を貫くアンティオキアの聖マルガリータは、これを断ります。しかし、それが原因で投獄さら、なんと拷問まで受けたといいます。いまとなってはにわかに信じがたいことですが、婚姻制度や宗教の選択などは、いまとは比べものにならない倫理がありました。

その拷問の最中、信仰を捨てなかったアンティオキアの聖マルガリータに、神の力ともいえる奇跡が起こります。

悪魔(ドラゴン)に、まるごと飲み込まれたアンティオキアの聖マルガリータが、持っていた十字架によってドラゴン腹を引き裂き、無事に出てくることができたというのです。なお、この苦難を打ち破って胎内から出てきた、という伝説が後に妊婦・出産の守護聖人として崇敬される所以になります。

怖いほどに冷静な視線で描き切った聖女の姿

こうした一連の物語を知ると、絵に描かれているものが、一つひとつ意味のあるものであることがわかります。

たとえば、アンティオキアの聖マルガリータの衣装は、羊飼いの衣装としては、とてもきらびやかで裕福そうにみえます。そして、足元には、悪魔(ドラゴン)が。

左手には、おそらく聖書を持っていて、しかも、今しがたまで祈りをしていたかのように、ページを指でとめています。拷問を受けることを拒んでまでキリスト教の信仰を貫いた信仰心の篤さが表れています。

アンティオキアの聖マルガリータの表情は、生気がないのか、達観をして無感情なのかわかりませんが、静かにこちらを見つめています。この表情がどんなことを表わしているのか、詳しくはわかりませんが、はかなげな女性の表情で、作品に不思議な魅力を与えています。

スルバランは、1598年に生まれたスペインの画家です。セビリアで活動しながら、首都マドリードの宮殿装飾を手掛けるなど、いち地方画家にとどまらない活躍をしました。その活躍の裏には、セビリア出身のスペインの宮廷画家ベラスケスの影響があったといいます。

スルバランは、《アンティオキアの聖マルガリータ》のような聖人、聖女の肖像画を、教会などから注文を受けて、数多く制作しました。なかには、南アメリカ、ペルーやアルゼンチンにまで送られた作品もあります。

こういったもののほとんどは、弟子たちが制作した工房作のものでしたが、《アンティオキアの聖マルガリータ》は珍しく、スルバランが一人で制作した作品であることがわかっています。

確かに、アンティオキアの聖マルガリータが左腕に下げている袋や首周りの白いレースなどは、本物のような質感で写実的です。アンティオキアの聖マルガリータの肌もまるで陶器のようになめらかに表現されています。個人的には、羊飼いの杖を握る右手の力感は、リアルでありながら、冷たく冷静な画家の視線が見えるようで、ちょっと恐怖を覚えるほどです。

こうした細部は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイトで、部分を拡大して見られます。下にリンクを貼っておきますので、ぜひ見てみてくださいね。

高さ163㎝の等身大の女性像。じっさいにこちらに投げかける視線はどんなものなのでしょうか。こればかりは、画像ではなかなかわかりません。

なんとかロンドン・ナショナル・ギャラリー展が開催されて、実物が見られることを願うばかりです。

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昨年12月から編集を担当した「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 完全ガイドブック (AERAムック)」も、Amazonで発売になっています!


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