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『RiCE』非公式編集後記|文化とは何かをラーメンから考える

2/4に発売されたフードカルチャー誌『RiCE』で企画・編集から執筆までをしました。

前職の『料理王国』を2019年7月に離れてから2年半、その間、一度『食楽』で2ページ執筆したことがありましたが、今回のようにページ数も多く(21ページ)いだけでなく、企画の段階から携わるのは初めてのこと。「雑誌はいいなぁ」と改めて実感しました。

今回『RiCE』は、創刊5年に合わせてリニューアルをしています。このご時世に年4回の季刊から年6回の隔月刊へ。判形(本のサイズ)が少し小さくなったり、連載も大幅に変更になったりしています。表紙の広瀬すずさんも、リニューアルにふさわしい大物感があります。

注目集まるリスタート号の特集は「ラーメン」です。「あなたのラーメン」が特集タイトルです。

RiCE(ライス) No.21 ラーメン特集 990円

ひとりは一人で、自分の好きなように目の届く範囲のことができて満足度はあるのですが、こうやってたくさんの人が動いていくなかで役割を担うのもまた違った楽しみ方がありますよね。届く人の広がりも違う。

僕は90年代のサブカル雑誌黄金時代に青春時代を過ごしているので雑誌はやっぱり特別な存在なんです。

だから「雑誌を作る」ことは編集という仕事のプリミティブな喜びをもっとも感じ、大切なものでもあったりします。

僕はライターではないので、雑誌の1記事を作ることにはあまり興味がありません。やるなら企画から、全体感を俯瞰しながらやりたい。

だけどそうなると編集部に在籍しないといけない。

それはそれで時間的な拘束も多いし、僕ぐらいの年齢になると、編集部に入ると現場だけをできないというのもあって「もう雑誌はいいかな(無理かな)」と思ってあきらめていたところもあります。

だから今回、編集長の稲田浩さんから、「企画の段階から並走してほしい」ということを言っていただけたのもうれしかったです。今号のタイトル「あたなのラーメン」を決める編集会議から、いち外部の編集者ながら参加させてもらえたのはとても光栄なことです。

それに『RiCE』は、創刊当時から大ファンだった雑誌。編集長の稲田さんが、僕の青春時代のバイブル『ロッキンオン』の副編集長で(その『スクリーム』という雑誌で映画もやる)、カルチャー誌の大先輩だっただけでなく、創刊当時から料理人の森枝幹さんがアドバイザー的に編集にかかわっていたりと、料理雑誌の中ではかなり異色の存在で、切り口や取り上げる店も専門誌にいた人間から見ると「そこがいいのか」とはっとさせられることが多かった雑誌です。

RiCEの魅力はなんといっても「食は好きなもののうちの1つ」という人向けの雑誌なところなんですよね。「食だけが好き」だとどうしても、知識や経験の積み重ねが雑誌の価値になっていくのですが、RiCEはもちろんその積み重ねをしつつも、「食×〇〇」で、つねに新しいカルチャーづくりに目を向けている。言い方は悪いのですが、ずっと処女性のようなものを保っているところが好きなのです。

あまりに好きすぎで、料理王国時代に取材をしたほど。雑誌が同じ業界の他雑誌の編集長を取材するとか、今考えると僕もおかしなことをやってるなと。

僕が担当したのは21ページ。本の前半、最新のラーメンが並ぶブロックをA麺(面)とするなら、僕は歴史や文化を宿すB麺(面)を担当しています。

日本遺産ラーメン|座談会、店舗取材

日本遺産ラーメン」は今回の特集で生まれたRiCEの造語です。前半が「フリースタイルラーメン」というテーマで、ラーメンの可能性を広げていく辺境のラーメンを特集しているのに対して、ラーメン文化の芯を食うような企画も必要だよねということで生まれたものです。

サニーデイサービスの田中貴さんと、ラーメン好事家のレイラさん、七彩の阪田博昭さんによる座談会では、その「日本遺産ラーメン」の定義について話してもらうことで、ラーメンを愛する人たちならではのラーメン論に話は広がっていきました。

そのうえで、以下のように日本遺産を定義することになりました。

日本遺産ラーメンとは
一、創業30年以上で、チェーン展開していない。
一、継承すべき作り方や技術、地域の食材などを使った創意工夫にあふれたラーメンがある。
一、街や地域とともに歩み、時代に適した店舗やメニューがある、提供方法、厨房設備。

座談会のあとの日本遺産ラーメンと呼べるラーメン店の取材もしています。

西荻窪「はつね」

「タンメン」(750円)に「チャーシュー増し」(350円)

銀座一丁目「共楽」

「チャーシュワンタンメン」(1050円)

ひばりが丘「麺工房 大番」

「大番ラーメン」(650円)

学芸大学「海新山」

「上上ラーメン(塩)」(1600円)

お店取材では、座談会の内容を受けていくつかの視点を持って編集・執筆をしています。

はつね ラーメンを作る人に由来する技術や考え方
共楽 事業を継承していくラーメン店の姿
麺工房 大番 地元に密着したラーメン店、事業継承の困難さ
海新山 事業を継承していくことの困難さ、ラーメンの価格について

こんなあたりをポイントに読んでもらえたらと思います。

RAMEN USA|庄野さんインタビューとアメリカのラーメン事情

オーストラリア産ラム肉の親善大使「ラムバサダー」のメンバーのなかでもシェフの方々とは「シェフレピ」でご一緒したりしてきたのですが、僕自身、今回初めてラーメン特集をすることになったこともあって、メンバーの一人「MENSHOグループ」創業者でラーメンクリエイターの庄野智治さんに今回初めて取材をすることになりました。

2016年のオーストラリア視察でお会いしてから5年。ようやくという感じです。

2016年のオーストラリア視察のときの写真

稲田編集長から「世界のラーメンをやりたい」というアイディアがあったなかですぐに思い浮かんだのが庄野さんでした。もちろんたくさんの方が今アメリカでラーメンを作っているので、どの方がすばらしいというわけではないのですが、ラーメン店の店主が自らアメリカに渡って、アメリカ人に受けえ入れられるラーメンを作っているという点では、庄野さんは間違いなくパイオニアの一人だと思うのです。

今回、サンフランシスコにあるツイッター本社の中にヴィーガン味噌ラーメン専門店「JIKASEI MENSHO」をオープンさせたのもよいニュースになり、3ページ分、じっくりとお話を聞いています。

なお、都内にMENSHOグループの店はいくつかありますが、今回取材したサンフランシスコのテイストを味わえる店が、新宿・小田急MYLOD内の「MANSHO San Francisco」です。サンフランシスコで庄野さんと相棒のラーメン・ビーストさんが開発した逆輸入ラーメン「G.K.O.(Garlic Knock Out)」が食べられます。

「G.K.O.(Garlic Knock Out)」(950円)

アメリカ・オークランドにある「RAMEN SHOP」は、カルフォルニアの伝説的なレストラン「シェパニーズ」出身者たちのラーメン店です。

オーガニックで地産地消なクラフトラーメンは、1杯1000円までという国民の暗黙のルールがある日本から見ると、まったく違う価値として受け入れられていることを感じます。ラーメンが表現媒体となっている点は、おもしろいなと思います。

ちなみに僕は、まるっきり英語がだめなので、「RAMEN SHOP」と次の「RAMEN GEEKS TALK in USA “ラーメンおたく"たちの座談会」は、仲山今日子さんにライティングをお願いしました(僕は編集のみ)。

仲山さんとは、前職以来交流を続けている数少ない食のジャーナリストで、僕のこと(僕が取材したいこと興味があること)をよく知ってくださっているので、自分が考えている以上のものに仕上げてくれて、本当にありがたかったです。

RAMEN GEEKS TALK in USA “ラーメンおたく"たちの座談会」は、庄野さんがアメリカの「ラヲタ」3人を集めてくれて、現在のアメリカのラーメン事情について、食べて側の視点で話し合ってもらいました。

座談会はZOOMで行った。

アメリカ人が、ラーメンについてここまで知っているのか」というのは、素直にうれしいもの。寿司がSUSHIとして世界の共通語になったように、柔道が国際スポーツになったように、ラーメンもまた国際的な日本のカルチャーになっていくことを確信できる座談会になっていると思います。

ラーメン屋の歴史を紐解いてみて

日本遺産ラーメンの取材を通して感じたことは、「ラーメン屋という職業の移り変わりから戦後史を見ることもできる」ということでした。

4つの日本遺産ラーメンのお店は、どれも40年以上の歴史を持っています。僕が生きている時間よりも長い。

皆さん、創業者ではなく、事業を継承した方々。そのストーリーを聞いてみると、必ずしもラーメン屋になりたくてラーメン屋になったわけでもなく、先代に頼まれてであったり、親族だからという理由で継いでいたりと、さまざまな事情がある。

さらに創業の話を聞いてみても、ラーメン屋というものはあくまで生きていくための選択の結果的だったりします。

そのことは、座談会のなかでも阪田さんが触れていて「職業選択の自由がない時代だった」と言い換えることもできます。生きるための職業としてのラーメンを作り続けていくうちにその職業が好きになり、極めていくようになる。職業というものが、そういう扱いであったことが、ラーメン屋の歴史をひとつずつ聞いていくことでわかってきたことです。

共楽のように屋台からスタートして、銀座の区画整備で立ち退きを要請されたことがきっかけで実店舗になったり、養子に入ったり義理の両親の事業を引き継いだりという話もあり、「」というものの存在がやはり今とずいぶん違うものであったことも垣間見えます。

その時代が良かったか悪かったかというわけではなく、昭和の歴史をラーメンからみることができるというのは、とても興味深いものだなと僕は思うわけです。

一方で、アメリカのラーメンギークたちの話を聞くと、「とにかく好きでたまらない」という職業を超えたもので、ライフワークの一つになっています。それは、生きるための職業のラーメン屋とは違った世界線のラーメンであって、昭和から一気に令和に時間が飛んでいくような感覚になります。

RiCE』は”フードカルチャー誌”と名乗っています。仕事をさせていただくことになり考えたのは「カルチャー」とは何かということです。日本語で言う「文化」なわけですが、「食文化」に代表されるように使い勝手がいいうえに、実態を誰も定義できていないこの言葉を少なくとも自分のなかでは定義しておかないといけないと思っています。

文化とは、そのものが起こった理由やそのもののコンテンツの差が多くの人に認識されているということだと僕は思っています。

そういう意味で、日本でラーメンは、多くの人が中国から来て日本でローカライズされたものと理解され、さらに「醤油」「味噌」「」「豚骨」の味やビジュアルの差や、地域ごとの特徴などを言い表すことができます。これは、まさに文化といえるのではないでしょうか。

そういう点で、フランス料理やイタリア料理も、日本で文化として根付いたといえそうです(たとえばインドのスパイスカレーはもう文化になるまでもう少し時間がかかりそう)。

加えて、今回の特集で取材をしてみてわかったような、人々のライフスタイルが変わった(時代が移り変わった)としても受け継がれてきたものであり、その変遷とともに、前の時代のコンテンツが理解されて、新しいものと同じように理解されている。そして、その両方を見ることで時代をも見えてくるというのが文化という言葉の意味なのかなと思うようになりました。

ラーメンという小さな丼のなかに宿るもの。それを少しばかりのことを残すことができたかなと思っています。

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