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Art|パオロ・ウッチェロ 《聖ゲオルギウスと竜》 あなたの目を大切に

東京都の緊急事態宣言が昨日5/25に解除されました。美術館の開館も検討されているようで、多くの美術展が再開されるような道すじが見えてきているのは、とてもうれしいことです。3/3の開幕延期から勝手に応援しているロンドン・ナショナル・ギャラリー展も、まだ正式発表はありませんが、開館へ向けての準備がなされているようです。楽しみにニュースをまちたいですね。

火曜の「Art」では、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の出品作の中から毎週1枚を取り上げて紹介していっています。この企画も今回で20回目(20枚目)になりました。

今回は、初期ルネサンスの画家パオロ・ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》です。

幻想的でファンタジーなウッチェロの世界

先週の「Art」を読んでくださった方には、「おお」っと気づくと思うのですが、この絵はキリスト教の物語を描いている作品です。

」がつくのはキリスト教徒として殉教した人、ということを先週書いたのですが、まさに今回もその法則にあてはまる、キリスト教の物語の一場面を描いた作品です。

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パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜
1470年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ゲオルギウスは、3世紀後半に、パレスチナのキリスト教徒の貴族の家に生まれたといいます。キリスト教を弾圧したことで知られるローマ皇帝ディオクレティアヌスの政策により、キリスト教の改宗を求められますが、ゲオルギウスはそれを拒み、斬首されて殉教したといいます。

そのゲオルギウスがキリスト教の布教物語に、ドラゴンに襲われた村を助ける伝説があります。その村は、キリスト教の異教の村で、ドラゴンへの生贄にその村の王の娘が選ばれてしまいます。そこを通りがかったゲオルギウスはは、「キリスト教をに改宗すれば助けてやる」と約束して、ドラゴンを破りその村を助けたといいます。

パオロ・ウッチェロ 《聖ゲオルギウスと竜》は、まさにその場面を描いたもので、画面右の白馬に乗った騎士がゲオルギウスで、左が姫です。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの作品解説によると、この絵は、線遠近法をマスターしようとしていたウッチェロの最初期の作品で、線遠近法に果敢に挑戦しながらも、未熟さが見てとれるといいます。

また、この絵の表面の処理をみると、かなり安く作られたことがわかるともあって、「そういうこと言う?」という複雑な気持ちになります。

絵の評価は時代によって変わる。あなたの目を大切に

そういった評価とは別に、この絵を観ると、とても奇妙な絵に見えてきます。

姫はなぜが直立して感情をあらわにしていなかったり、ゲオルギウスが乗る馬は大げさで、無理やりこの格好をしているようです。槍を受けるドラゴンの表情は大げさに苦しんでいるようで、バックの洞窟などは、張りぼての安いセットのようです。

空間が正確に整理されていて、論理的に破綻がない、そんな絵が「名画」だとすれば、明らかに、この絵はそういった名画とはなかなか呼びにくい作品のようです。

しかし、一方で、子供たちに読み聞かせるような空想や幻想の世界、ファンタジーな世界が、この絵には存分にあります。そういったことが、この絵の魅力であり、けっして時代を超えて絵の良さが見えてくるという、絵画の面白さでもあります。

もちろん、ウッチェロ自体は、初期ルネサンスの画家で、線遠近法を巧みに使いこなそうとしたとして、一定の評価を得ています。なので、絵画史を代表する画家ではあるのですが、とうぜん、時代ごとに評価はすこしずつかわります。

一時期、ナチスの美術館に入っていたこともあり、その時は、今とはまた異なる評価をされていたことでしょう。

絵に対する評価は一定ではありません。フェルメールが、ここ30年くらいで急に人気が出てきたように、その時代、その時代に受け入れられう絵は異なってきます。

未来的にヴァーチャル世界が進化して、写実性の高い幻想空間が実現したとしたときに、その対比としてウッチェロのようなファンタジーの世界に今以上の評価が生まれる可能性もあります。

絵の中のある程度の知識をもちながら、現代の人間としてどうその絵を感じるのか。絵画鑑賞の醍醐味を、ウッチェロの作品で味わってみたいと思います。

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【明日の予告】

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